意識の低いエコライフ
先日、3ヶ月おきに行っている京都の眼科の診察が終わり、表に出たところで年配の女性に「地元の方ですか?」と声をかけられた。
(ちなみに私は良く道を聞かれる)
「いや、違います…」と答えたが、「清水寺行きのバス停がわからなくって…」と地図を見せられてしまい、確認して「あそこにあるバス停です」とお伝えした。
しかし、京都のバス停はなんであんなにわかりにくいのだろうか?
同じような場所に行先の違うバス停があちこち点在している上、そのバス停自体がひっそりとたたずみ過ぎ!!
まだ道端のお地蔵さんとかいけず石の方が存在を主張しておる。
そのあと東山三条から烏丸五条までバスに乗ったんだけど、
降車する時に(こんなとこにバス停あったけ(;゚д゚)?!)と変な声でた。
この歩道、たぶん往復で数百回は歩いていたと思うんだけど、バス停の存在なんて初めて知ったわ…。
京都に7年住んでいたが、メインのバス停は別として、小さいバス停を探すのがめんどくさすぎて(歩くほうが早い)という気持ちになり、八坂神社から京都駅くらいの距離だったらフツーに歩いていた。
いや、当然歩くよりバス乗る方が早いんだけどさ…。
今は大阪在住なので地下鉄やJRといった電車移動がメインだが、それでも
「乗り換え駅が遠い」「駅に言って階段上って降りること考えると直接行った方が早い」と思うと、つい歩いてしまう。
歩くのが好きとか健康のためというより、動機は「めんどくさい」から。
目的地検索して、「電車18分 徒歩25分」くらいの距離だと、
駅探したり、ちょっと遠回りして階段上ったり下りたりするより、ただ足を2本動かしているだけで到着するほうが(早いよなあ)と感じてしまう。(その割に良く迷うけど)
以前「エコな洗剤を使っているのも、意識が高いわけではなくめんどくさいから」という話を書いたが、
「めんどくさい」をベースに生きると結果的にエコライフを送れるのではないか?と感じる今日この頃です。
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