更年期うつと林住期
昨日、(来年もう50歳になるなあ)と思って、ふと気づいた。
50代て更年期うつになったり、生きることに対して気力がなくなりやすくなる年代のような気がするけど、
ひょっとして、ヒトという生き物は、50年以上どう生きたらいいのかわからないのじゃないのだろうか?
日本人の平均寿命を調べてみると、旧石器時代・縄文時代は平均寿命15歳。
その後は10代から長くても30代で、寿命が延びた江戸時代から大正時代でも!!44歳である…。
昭和でも、戦時中は31歳だって!!
終戦後は少しずつ平均寿命が延びていき、平成時代にいきなり83歳になっている。
終戦が1945年だから、日本人が「人生80年」が当たり前になってから100年も経っていない、と考えたら、(「これからどうやって生きたらいいのか?」混乱もするよなあ…)と思ったのだ。
ヒトの身体(ハード)のスペックとしては150年くらい生きられるようにできているらしいが、精神的なスペック(ソフト)は、本当は人生50年くらいで設定されているのではないのだろうか?
DNAレベルでの経験値がほとんどナイ、というか、「ゆらぎ」とか「クライシス」とか「更年期」なんて乗り越える前に大多数がこの世とバイバイしてたんだもん。
仏教では人生を「四住期」と4つのステージに分けていて
①学生(がくしょう)期 8~25歳
学問や技術を学び、ひとり立ちするために学ぶ時期
②家住期 25~50歳
家族を養い、仕事をして、社会的な活動をする時期
③林住期 50~75歳
家族(社会)から離れ、森に入って瞑想やら修行する時期
④遊行期 75歳~
定住(と執着)を捨て、遊行しながら生きる
50歳なったら社会捨てて森入って修行するとか言っておる!!!
50からは、どれだけ執着捨てるか?の学びの時期に入るということで
社会で煩悩まみれになって働いている場合じゃねぇ!!
そりゃ精神も病むわ。
って話ですよ。
執着と愛って紙一重なところがあって、大事だから執着する。
要らないものは、簡単に捨てられるもんね。
でも、「大事だから執着して一生懸命になれるのは、人間せいぜい25年ですよ?」「残りの人生があるとしたら『いかに捨てていくのか?』『身軽になるのか?』を自分に問い続けなさい」と言われているような気がする。
そして、一般人は、そんなこと己に問う前に人生はゲームオーバーできたのだ。
この数万年間は。
しかし、現代はまだまだ人生ゲームは続くので、「じゃあここらへんで人生やめますね」といかない以上、何とか乗り切らないといけない。
そりゃ鬱にもなりますよって話だ。
そう考えると、ネガティブになって、生きる気力なくなったり、仕事とか家事頑張りたくないてむしろ普通のことなのではないだろうか。
ちょっと生きることに飽きちゃったり、しんどくなったら、逃げてもいいと思うんだよね。
本当の森へ逃避するのは難しくても、「心の森」にそっと移住して、誰ともしゃべらず、関りも持たず、心が回復するのをじっと待って、軽くなってきたら外に出ていくくらいの心づもりでもいいのかもしれない。
(鬱っぽいなあ…)と感じても、変にポジティブにならなきゃとか思わず、
(あー生きるのめんどくさいよなあ)(でも途中でやめるわけにもいかないし、なんとか今日だけ生きてみますか)くらいのテンションで1日1日乗り切って、休み休みだらだらやってみて、すこしずつ「こうあらねば」という気負いや「こうするべき」という思考を手放していく。
その中で「中庸」というものを見つけていく年代なのかもなあ、と思ったのでした。