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番外 産経新聞 一筆多論 「重症者負担が歳出改革か 高額療養費の引き上げ」(参照)に賛同

 「子ども・子育て支援金」の財源に関する記事だ。実にその通りだと思う。病気や怪我で日常生活もままならず、収入も無くなるか少なくなり、何とかやりくりをして、再起を図ろうとしている人に対して、余りにもひどい仕打ちだろう。この記事の最後に「政治家は負担増も含めて選択肢を並べて、どの案がマシかという話をすべきだ。そうでないと、少数の重い疾患の人の反対の方が、多数の軽症者の反対より御しやすいと考えたのか、と疑ってしまう。」と書かれていて、これにも何度も首を縦に振ってしまう。高額療養費の自己負担増を閣議決定した与党は人を票としか捉えていないのではないかと思う。この政策に賛成する野党も然りだ。また、この政策を単に現役世代の保険料を下げることが目的だと報道してきたメディアも片棒担ぎの誹りを免れるものではない。

 さらにいくつか意見を付け加えたい。
 この政策の悪影響をまともに受けるのは公営国保を代表とする付加給付制度を持たない保険の被保険者だ。高額療養費の自己限度額を補填する付加給付制度があれば、実際の自己負担はほとんど変わらない。健康保険の場合は保険料が下がるのは労働者だけでなく事業主も同様なので、この高額療養費の自己負担引き上げ分もカバーできると思われる。しかし、特に公営国保の場合は事業主負担もないなかで1984年以降国庫補助金率は削減され、元々収入が少ないにもかかわらず非常に高い保険料が設定されている。このような公営国保にいて高額療養費制度を使う状態にある人のなかには、追い詰められ、希望を奪われる人も多数出るのではないか。例えば、癌についていえば、分子標的薬や免疫療養など治療技術が向上し生存期間が延びているのは喜ばしい事だが、存命中はほぼ高額療養費の自己負担限度額はずっと使うことになる。先ほどの付加給付制度か民間の癌保険にでも入っていれば、かなり緩和されるが、それらがなければ相当な負担だ。このような人たちにさらに負担を強いるのが今回の政策なのだ。

 もうひとつ。拙稿「社会保険、社会保障とは?」にも書いたが、そもそも保険というのは一定の掛け金を払って自分の未来のリスクを担保するものである。給付予定者だからこそ保険料を負担してもリスクを担保するのであって、そこに保険料負担の合理性がある。ところが、今回の子育て支援金は、受給権を持つ人と、掛け金面した負担金を徴収される人が異なっている。原点において保険の原則から逸脱している。計算方法が報酬に対する料率計算であるとか、介護保険拠出金とか後期高齢者医療制度支援金などの財政調整とか、見かけが似ているどさくさに紛れ、皆保険であることを悪用して、本来税金として徴収すべき金を社会保険料として奪っていくことになるのである。
 繰り返しになるが、票の数を天秤ばかりにかけ、現役世代の保険料を下げるためなどと多数の弱者救済のふりをしながら、その実態は少数の最弱者を切り捨てる。人道上の愚策である。道路・鉄道・空港・港湾・水道など、それらの整備のために巨額の税金が投入されている社会資本を利用し莫大な利益を上げている巨大企業などの少数の強者に負担させるべきである。特定政党への政治献金ではない本当の意味での社会貢献として評価されるだろう。
 
 
参照
https://www.sankei.com/article/20250114-LPNUAS636ZOZZA5265YY4EBFCM/

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