メンヘラ女の片想いは命懸け
昨夜はショックで家に帰ってからも何も食べられなかった。
胸がざわざわして、何だかずっと怖いのだ。
自分の中の絶対に触れてはいけない部分に触れてしまったような気がする。
すっかり忘れていたつもりだったけれど、
やっぱり古傷は完全に治ってはいなかったのだ。
わたしは片想いが強制終了するのが何よりも怖い。
奥さんがいると言われたら、
「俺今日で最後だから」と言われたら、
わたしはまたあのときのように壊れてしまうに違いない。
ご飯が食べられなくなり、
毎晩泣かずには眠れず、
やっと寝れたと思っても夜中に目が覚めてまた泣いてお酒を飲んでやっと寝るような生活。
電車に乗っていても勝手に涙が流れ、
飲みに行けば突然泣き出して潰れてお手洗いにこもって人に大迷惑をかけた。(本人は記憶があまりない)
仕事は普通にこなしていたつもりだけど、
ずっと辛かった。
生きてるのに死んでるみたいだった。
いっそ死んだほうが楽になれるような気がした。
わたしがこのまま何十年生きたって、
どんなに美人でいい女になったって、
この先大好きな彼とどうにかなることは絶対にないのだ。
それならもう生きてても何の希望もなかった。
うん、死んだほうがいい。死んでしまえ。
わたしはどうやって死のうか検索するようになった。
わたしは実家暮らしだから家族の目がある。
いつどこで死ねばいいんだろう。
1人のときに部屋で首を吊るとか?
いやでもみんなが寝静まった頃に1人で家を出て、
どこかから飛び降りて死ぬこともできるんだよな、
この時間ってまだバスあるのかなとか、
夜中に目が覚めたときに泣きながら具体的に考えるようになって、
自分でもいよいよやばい気がした。
もう自分1人で立ち直るのは無理だと思って、
わたしは心療内科に行って薬を貰った。
これを飲めば楽になる。
これを飲み続ければわたしはもう泣かずに眠れる。
それだけでもだいぶ気が楽になったので、
今思うと別に薬じゃなくてラムネでもよかったのかもしれない。
そうやってわたしは鬱状態から何とか回復した。
その後コロナで仕事が無くなって暇になり、
祖母を亡くしたばかりの祖父と昼から2人でお酒を飲んでいるとき、
わたしはあのとき不倫も自殺もしなくてよかったと心から思った。
もし自分にそんな過去があったら、
わたしは目の前で楽しそうに孫とお酒を飲んでいる祖父まで不幸にしてしまうのだ。
そうならなくて本当によかった。
「まる子と友蔵みたいだね」って言われて笑っているような平和な関係に罪悪感を抱くようなことがなくて本当によかった。
学生の頃からずっと希死念慮が酷かったわたしが、
生きててよかったと人生で初めて思った瞬間かもしれない。
今朝起きても何となく気分がすぐれなくて、
相変わらず食欲がないし、またお腹も下している。
こうして昔のことを重い出すと涙が出てくる。
別に好きじゃない男の子に突然「子供ができたら…」と言われただけで、
わたしはこんなに体調も情緒も不安定になるのだ。
もしこれが好きな人だったら、
やっぱりわたしは今の生活を送れなくなる。
青酸カリでも手に入れたら、
わたしはそれを片手に持って震えながら、
好きな彼に「結婚してますか?」と聞けるだろうか。
実を言うと、
最近自分でもちょっとやばいなとは思っていた。
添乗員の頃は元々根暗で人見知りで人間大嫌いなわたしが、
毎日旅先でハイテンションになっている自分勝手な老人達の相手をするのは辛すぎて、
好きな人に縋るしかなかった。
客やバスガイドに嫌なことを言われる度に、
年に数回だけ会える、
夢みたいにカッコいいホテルマンと話したときのことを何度も何度も思い出して乗り切っていたのだ。
毎日のように彼との会話を回想して回想して、
わたしがこの仕事を辞めない限り、
あのカッコいいホテルマンと年に数回は話すことができる。
わたしはきっとそれだけで生きていける。
結婚願望のないわたしは、
この先もう安泰だとさえ思っていた。
あんなカッコいい人に会えるんなら、
わたしはどんなに辛いことがあっても絶対にこの仕事を辞めない。
誰に何を言われても絶対にしがみついてやる。
そう思って死ぬ気で頑張っていたのに、
肝心の彼があっさりと仕事を辞めた。
全くの想定外だった。
田舎の温泉街の幼稚園に娘を入れてコミュ障になったら困るから街の中心部に出るのだと、
彼はコミュ障のわたしに言った。
「そうか、わたしみたいになったら困るもんね」
と心の中で思った。
3歳年上の彼は一見冷たそうに見えるけれど、
実は2人の娘を溺愛していて、
父親のいない家庭で育ったわたしは、
自分でも無意識に彼の父性に惹かれてしまったのかもしれない。
わたしは父親に叩かれたり怒鳴られたことは何度もあるけれど、
あんなふうに溺愛されたことは一度もないもの。
きっと彼の娘達は父親に愛されてすくすくと育って、
大人になっても何の苦労もせず当たり前のように男性から愛されるんだろうなと思う。
あれから7年経った今でもわたしはまた別の男に依存しようとしている。
わたしはあのとき死ぬ思いをしたのに、
そこから何も学ばなかったんだろうか。
先週はキモ男に会ったり本業後に長い仕事を入れたりして本当にキツかったので、
これでもし土曜日好きな人に会えなかったら、
わたし来週はもう無理かもなと思ってしまった。
好きな人の工場は平日の夜の募集が出なくなって土日しか行けなくなってしまったので、
土日どっちも行けない週末は、
平日に有給を取って行ってみようかなどと考え始めている。
それでまた彼が休みだったら、
死ぬほど落ち込むのは目に見えているのに。
でも週に1度くらい好きな人に会わないととてもじゃないけどやっていけないと思ってしまう自分がいて、
これじゃあの頃と何にも変わらない。
だからもし彼が既婚者だったらまた同じことになる気がして、
自分でも内心ハラハラしていたのだ。
わたしはまたあの頃の好きな人に縋らないと生きていけない自分に戻りかけている。
このままじゃ絶対にまずい。また同じことになる。
でもあの頃も今もわたしには常に夢中になれる趣味があって遠征の予定もあって、
今なんて週に何回も知らない会社に行って知らない人と恐る恐る働いて適度な刺激は受けているし、
好きな人のこと以外に考えることも夢中になることもあるはずなのに、
それでもわたしは好きな人に縋ってしまう。
だから趣味があれば男にのめり込まないなんて絶対に嘘だと思う。
趣味と男はきっと別物なのだ。
きっと脳の使う部分が違うのだ。
本業と副業と趣味と旅行で余白なんて一切ないわたしのスケジュール。
一体わたしはこれ以上何をすれば好きな人に縋らずに生きていけるんだろう。
もうわからない。