惨めな片想い

好きな人のいる1階へ向かった。
もうわたしの1日はここから始まって欲しい。 
好きな人が出勤しているかと、
無事に彼のいる1階に行けるかどうか、
家に帰ってからも毎日ずっと不安でたまらないのだ。出勤は彼にシフトを聞ける仲になれば聞ける。
しかし3階に送られるのを阻止するには、
一体どうすればいいんだろう。
さっきわたしが全力で謝ったのが、
クソ女に届いてほしいけれど、(前回記事参照)
あの子はちょっと変わっているから、
次行ったらどうかはわからない。
結局わたしの不安は尽きないのだ。
ああもう早く付き合ってくれないかな好きな人!!!


1階に着くとサイコパスおじさんがいて、
男性タイミーを3号機に送った。
好きな人もなぜか3号機でシーツを入れている。
彼はいつもあんなところにいないのに。変なの。
じゃあわたしが3号機行けばよかった!また失敗か!
しかしサイコパスおじさんはちょっと困った様子で、
わたしにも「シーツできる?」と聞いてきた。
「はい!どこでもいいですよ!」と言うと、
サイコパスおじさんは、
「今ちょっと緊急事態が起きてるんだ」と言って、
わたしも3号機に送られた。いよっしゃぁぁぁ!!!


男性タイミーと3号機に向かうと、
好きな人がこちらを向いて、
「オレンジの10時までにやんなきゃいけなくて…」
と言った。
え!もう1時間もないじゃん!
だから彼今日ここにいたのか!そういうことか!
何度もここに来ているけれどこんなことは初めてだ。
さすが繁忙期。



わたしは「えぇ!10時?!やばーい!!!」
と言って迷わず彼の隣に入った。
絶対に誰にも彼の隣を取られないように、
当たり前のような顔をして彼の隣に行った。
しかし「やばい」なんて、
好きな人(しかも社員)の前で言っちゃうくらい、
わたしも思わず素が出るくらいには焦ったのだ。
これ終わるの?!どう見ても無理じゃない???


わたしはもう彼を見るとか見れるとか、
いつものように考えることもせず、
とにかく縫い目がオレンジ色のシーツを手に取り、
機械にどんどん投入していく。
投入した後に機械の投入部分が戻ってきたら、
すぐにシーツを入れられるように
機械が動いている間にシーツを手に取って、
機械に入れる部分を伸ばしておく。
濡れた薄いシーツは絡まるから、
シーツの山から引っ張り出すのは大変だけど、
わたしは火事場の馬鹿力で引っ張り出した。
好きな人はさすがプロだからめちゃくちゃ速い。
でもわたしも昨日もこの作業をしていたし、
昨日も隣にいたタイミーよりずっと速くできていた。

大丈夫。

これならわたしは彼に協力してあげられる。


さっき代わりに3階に行ってもらったタイミーは、
年配でおっとりした感じの不慣れな女性だったので、
最初のクソ女の指示通り彼女がこっちに来るよりも、
絶対にわたしが来てよかったはずだ。
クソ女も一応社員なんだから、
こういうのちゃんと配慮してやんなさいよ!!!!!

しかし一緒に作業していた障害者ぽいパートさんは、
信じられないことにこのタイミングでお手洗いに行くと言い出して抜けたりするし、
やっぱり工場の人達って、
協力して何かをするのは難しいのかもしれない。

今は絶対に機械をエラーにしたらまずい。


シーツが絡まったまま投入しないように気をつけ、
何よりも珍しく横に好きな人がいるので、
汚れたり破けたりしたシーツを入れてしまったり、
シーツが機械にちゃんと入っていなくて、
床に落ちるのを見られたら恥ずかしいから、
わたしはそうならないように集中して仕事をした。
好きな人は焦っているのだろう、
たまにシーツを落としていた。


好きな人も時間に追われて必死だけど、
わたしはわたしでいろんな意味で必死だった。
わたしの数十センチ横には好きな人がいて、
同じシーツの山から同じものを探していて、
好きな人に負けないくらい急いで作業をこなす。
好きな人と仕事のダブルの緊張で、
わたしは息をするのを忘れそうになったようで、
呼吸をするときに、
「さ、酸素酸素!」と無意識に心の中で言っていた。
好きな人は時々わたしを酸欠にするのだ。



お正月から柳楽優弥みたいな男の横で、
こんなに必死になってシーツを入れるなんて、
わたしは一体何をやっているんだろうと思う。



在宅の本業で「◯時までに締めなきゃいけなくて…」
と社員の女の子に言われても、
わたしはチャットに了解マークのスタンプを押して、
きっとお茶でも飲んでいるだろう。
なんかよくわかんないけど急いでんだな大変そうだなとしか思わない。
社員の女の子が何か頼んできても、
わたしより出しゃばりババアが先にチャットに気づいて処理するだろう。
わたしはきっとその画面をなんとなく見ながら、
ヨーグルトでも食べて歯磨きをしたりしてるだろう。
わたしはそういう女だ。
だってただのパートのおばちゃんだもん。


でも困っている相手と場所が違えば、
わたしはこんなに頑張る女になるのだ。
自分でも信じられない。
わたしはタイミーの他の現場に行っても、
こんなに必死に働くことはないだろう。

「よかったねぇ好きな人!

ここであなたのために一番頑張れる女はきっとわたし!


困っているときに手伝いに来たのがこのわたしで、
あなたは今年絶対ツイてるよ!!!」


と心の中で言う。
きっと彼の運は強いはずだ。



しかしせっかく隣に来れたのに、
彼はほとんどわたしに背中を向けて作業していて、
わたしばかり彼のほうを向いていた。

「なんでせっかく隣に来てもこうなのさ!!!」


なんで今日はこんな近いのにまた背中なの!!!
そして大きい背中もやっぱりわたしより下にある。
この人はたぶん160センチないなと、
彼が近くに来る度に毎回思う。

年下の女の子に朝から本気で頭を下げ、
それを他の人達にまで見られ、
やっと好きな人の隣に行けたと思ったら、
好きな人は相変わらずこちらに背中を向けているし、
話す暇もなく手を動かさなきゃいけない。
彼の近くにこそ来れたけど、
今日だって彼と一度も目は合っていない。
こんなに近いのに。


恋をすると、

人はどうしてこんなに惨めになるんだろう。



…相手が悪いのかな?


今日のわたし、
なんだかめちゃくちゃ情けない気がする。
これが惚れた弱みというやつなのか。


オレンジのシーツが減ってくると、
好きな人はボタンを押して、
別のシーツの山をどんどん落とした。
わたしはまたそこからオレンジ色のものを探し出す。
好きな人も探しながら「ねぇな」と言っていた。
わたしが「やばい」なんて言っちゃったから、
彼も言葉遣いが崩れたのかななんて思うと、
ちょっと幸せだった。


「もう一生オレンジでいい〜!」



と思いながら作業していた。
少しでも長く好きな人とこの作業をしていたい。
時間よ止まれ〜!
浮かれすぎて、
脳内では「言い訳Maybe」が流れ始めた。
とてつもなく幸せだったけれど、
10時になってパートさんが来ると、
彼は「俺抜けるわ」とパートさんに言って抜けた。
わたしはパートさんを睨み殺しそうになった。


でも最後に好きな人はわたしに、
「ほとんどオレンジのだけ入れてた?」と聞き、
男性タイミーには、
「ほとんどオレンジのだけ入れてたかい?」
と聞いた。

わたしは彼の、
「〜かい?」とか「〜かな?」と、
語尾に付ける優しい話し方が大好きだ。


でも最近になってようやく、
彼は相手に気を遣うときに「〜かい?」などと語尾に付けていることに気がついたので、
わたしのほうがくだけていたような感じがして、
ちょっと嬉しくなった。
彼は誰にでもいきなりそういう話し方をするので、
初対面の人には馴れ馴れしいと思われて、
ドン引きされてしまうのもわかる気がする。
なぜかわからないけれど、
彼は初対面の人が相手でも、
普通に「入れましたか?」とは言えない人なのだ。


でもさっきお手洗いに行った障害者の人にも、
彼は「みっちゃん!」と何度も名前を呼んで、
ハキハキと指示を出していた。
この工場はそういう普通じゃない人が結構多いし、
最近はどんどん外国人まみれになっているので、
彼はそういう子供に話しかけるような話し方になるのかもしれない。
彼がよくキツめのパートさんと笑っているのも、
ここにはまともな人が少ないからなのかもしれない。




そうだと思いたい。





まさか子供がいるなんてやめてよね!!!
でもなんかあの妙に優しくて穏やかな話し方は、
家に女がいる男の人のような気がして仕方ないのだ。
女兄弟とかお母さんならいいんだけど…
ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!やめよう!
イケメンをぶち壊すような黒い妄想はやめよう!


その後は特に彼とは接触はなく終わった。
お昼休みは2号機に行ったので、
またちらちらと後ろを振り返ったけれど、
今日はいつも11時くらいには無くなるはずのシワ伸ばしを、
彼はお昼から戻ってきてもずっとやっていたし、
彼はお昼もまた30分で戻ってきたので、
やっぱり繁忙期なんだなと思った。
お昼が終わってわたしが3号機に戻った途端に、
彼が1号機に入ったのがちょっと悔しかった。


あと午後だけどちらっと投入枚数を見たら、
好きな人のところが480枚、
わたしのところが450枚で、
あとのところは370枚と380枚だった。
あの直後ではないから何とも言えないけれど、
わたしはやっぱり結構頑張った気がする。
今日は仕事後もいつもより身体が怠いし腕が痛い。


結局10時に間に合ったのかもわからないままだし、
ありがとうくらい言ってくれてもいいんじゃないのと思ったけれど、 
わたしが上がるときの彼は、
やっぱりいつもの紺のジャージの背中を向けていた。
「週末どっちかでいいからまた会えますように、
これで9連勤が終わりませんように」
と見慣れた彼の背中に念じて、
わたしは1階を後にした。
お願いだからまたここに来れますように。


更衣室に戻って、
わたしの代わりに3階に行ってくれたタイミーさんに「大丈夫でしたか?」と声を掛けた。
こういう思いやりは大事なのだ。
彼女は特に嫌な思いもしなかったと言っていたし、
やっぱりシーツはやったことないと言っていた。


あの状況で、

好きな人が慣れないタイミーにシーツの入れ方から教える羽目にならなくて、

本当によかったと思った。


年末からずっと、
慣れている現場で働く度に、
よりによってこの忙しい時期に知らない現場に行くのはかえって迷惑な気がして仕方なかった。
わたしは彼のためにもやっぱりあのとき頭を下げてよかったのかもしれないと思った。