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うつろう話

今、私は福岡市中央区平尾という住所に住んでいる。

ここに住み始めた理由は、やむを得ないものだったが、徒歩でアルバイト先や、ギャラリー等々のある福岡都心部に行けることはとても都合がよかった。

私が平尾に住みはじめて程なく、徒歩2、3分のところに友人がギャラリーを作った。
正確には、前からあったが、古い木造集合住宅の一室だったその場所をリノベーションして、再オープンさせた。

床は石灰や砂を敷き、何人かで連日叩いて三和土とし、壁面はすべて左官職人の手で土壁となった。
天井は青竹で敷き詰められ、大黒柱と言うには心許ない太さの柱の土台は、美しいマーブル模様の石を据え置いていた。

家具木工の細工も出来る店主が、自らカウンターを作り、その再オープン最初の展示に私の個展を申し出てくれた。
場所の名は、二本木と言う。

店主自ら、私のスタジオに来て、作品を選んで持って行った。
彼も昔、絵を描いていたが、今は若い古道具屋の店主の風貌であり、その古道具・民芸的な視点で選んだ作品群は、長らく現代美術の分野で視点を培ってきた私には大変新鮮だった。

その後も家が近いせいで、展覧会をやっていたりやっていなかったりする時に、歩いて出かけて、カウンターで彼が出してくれる冷茶をすすり、あてない話をする。

話は多岐に及ぶが、いつも共通しているのは創作の話。

私がレナード・コーレン「わびさびを読み解く」について話をすると、彼が読んだ松岡正剛の本の話をしてくれた。

「うつ」とは、虚ろのことであり、私たちが五感で感じ取れない非物質世界のこと。
「うつつ」とは、現のことであり、私たちが五感で感じ取れる物質世界のこと。
その間を往き来することを「うつろう」と言う。

創作をするときに、うつから招かれ、うつろううちに、思いがけないうつつが現れる。
うつつをうつろううちに、うつに出会し、そうだったのかと合点がいく。

彼岸此岸、生滅流転、諸行無常、緊張弛緩、吸気吐息。

そのうち、うつもうつつも一体となった絶対世界に解脱し、うつろうことを懐かしみ、美しい思い出となるだろうか。

再来月には平尾から引っ越して、隣の春日市に住む。
春日は出身地であるが、マンション、都市高速、郊外型巨大店舗等々によって幼少の頃の田園風景は微塵も残っておらず、旧友と呼べる人もいなくなった。

大学進学のために実家を出て、東京に8年住み、福岡に戻ってきて、福岡市内とその周辺を転々としている。
次が8軒目の我が家。
うつろう毎に身軽になり、もう自炊はやめた。

どこに住んでもまだ知らない街があり、知っていたはずの街に知らないものが林立していて、私はいつも新鮮な気で、無限にうつろえるのではないか。
やはり、死なないつもりで生きていこう。

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