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2023/09/16 朝から故宮博物院に

自然と目が覚めて朝から故宮博物院に出かける。

2階の特集展示がよりによって文人画であり、南画や書籍を通して日本の地方都市福岡から見ていた扉は実は針の穴だったと分かった。

なぜ東アジア美術の中で山水画がこれほど特別な位置を占めているのか、見れば一目瞭然で圧倒的な存在感を示しているその他、花鳥画、怪異、神仙図、絹に漆を塗って顔料を油で溶いて描いた…て油絵やないかい。
各種巻物も見たことがない密度で描かれていて、理解が追いつかない。
自国のが余白の美とか朦朧体とか言ってるのがいやそれらに対して頼もしく思っていた私が恥ずかしくなるくらい、伸びやかで、絵画の破綻とか成立とかそんなことはまるきりどうでも良くなってくる。

細部に神は宿るだろうがそれは後から付いてくるものであって、とにかく画面上全てを使って自分の好きなことを圧倒的にやり切ったらオールオッケーという顔をしている神仙たち。
そうか雪舟が目指したアトモスフィアはこれかとか、蕭白がこの激ゆる群仙図見てたらあんな群仙図描かなくて良かったかもしれない癒されたかもしれないとか、山や岩や植物は恐らく徹底的に写実であって写生やってた探幽偉いしそう言う意味で守景や応挙も自分の目に忠実であってすごい偉かったんだなあとか、とにかく自国のあれやこれやと比べていちいち時間がかかる。

あらゆることがめぐり過ぎて頭を整理するため別室に入ってもロイヤルコレクションのくせに日韓民画に引けを取らないゆる絵でプラっぽくバキバキに着彩された陶磁器の類が待ち構えており、かたや爽やかにすっと並んだ白磁青磁の滑らかさに対してぐうの音も出ず、展覧会でこんなにコテンパンにやられたのはいつ以来だ。

しょうがないので4階の文人料理屋に行き文人飯を食べて休憩してまた階下を見て回るなど、もう帰らない気ではないかと我ながら訝しんだ。

素晴らしい技巧と世界に対する真摯さとシリアスになり過ぎない力の抜き方と適度なマニエリスムを許容する敬意の持ち方、とにかく全てがありがたい。
これらが日本人の侵略、共産党との内戦を潜り抜けて台湾にあるという激烈なその背景を持ちながら、台湾の他の文化やこの国の在り方同様にどっしりしていて余裕があり、自慢するでもなくそれそのものでしかないものとして程よく展示されていることはもう奇跡としか思えない。
どんな文化財、古物も人の手により継承されたわけでそれが存在しているということが奇跡的なのだけれど、今日見たものは素晴らしい詩を全身で感じたに等しく、画家としての琴線がびろびろと鳴り響き続けて、私の血肉になったのを感じる。
ぐるぐる何周したか覚えてないけど、画家だなあと今更ながら自分を振り返る余裕が出てきて、何か腑に落ちた瞬間があって館を出た。

隣接の至善園の文人建造物に腰掛けて冷え切った饅頭を食べながら、夕日に照らされる人々と風景と創作の中庸を具現化した園を眺めた。
ちょうどいいと言うことについて、割と意識的にやってきた方だと思うけれど、文人の本場を浴びて力強いものを養ってもらえた気がする。

何もかも気にせず己のことを真摯にやり世界に開いてゆけと背中を押してもらったよう。

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