スエロは洞窟で暮らすことにした
ここ数日とても冬らしく寒く、久しぶりに浴槽にお湯を張って入浴剤を入れてくつろいでみた。
その日は長い時間ソファに座って本を読んでいたが、湯船に浸かると背中と尻がずいぶん冷えていたことが分かった。
長く浸かって体がとても温まり湯船の栓を抜き、湯船を洗ったり浴室の水を切ったりしていても寒さを感じず、いつもこうやって温かく生きていけないものかと思う。
明るいうちに自宅に帰れたのは珍しく、ソファで本を読みながら日の落ちる様を部屋の窓から眺めた。
空はどこまでも透き通っていて、穏やかに色を変化させて闇に近づいていくが、空に何もなく遥か遠くまで突き抜けているということは宇宙や地球の成り立ちを学ぶ前からちゃんと理解していたように思える。
あの青はどこまでも広がる青色で、空に青い何か巨大なものがかぶさっているわけではない、どこまで行ってもあの青には到達することができないのだ。
それを物心ついた時には当たり前のように知っていた気がする。
読んでいた本はマーク・サンディーン著、吉田奈緒子訳「スエロは洞窟で暮らすことにした」。
家族ぐるみで熱心な信仰心を持つキリスト教原理主義の家庭に生まれたダニエル・シェラバーガーは、神学、神秘思想、世界宗教のあらゆる聖典に目を通し、エクアドルでの献身的社会活動を経て矛盾だらけの宗教システムを目の当たりにし、自殺を図るほどのうつ状態に陥るが、ユタ州モアブという町にたどり着いて心の安定を取り戻す。
"宿なしのライフスタイルが許容されるばかりか"、"金銭が恥ずべき輩の利とされ、家を持たない生き方がかっこいいとみなされる町"でダニエルはやがて、貨幣経済から身を引いて近くの洞窟で暮らすようになる。
彼は隠者であり隠者ではなく、町の傍に住んで人と関わることをやめない。
お金は一銭も持っていないが、町の図書館のパソコンを使って自分のブログを書き、オンラインでも人々と積極的に意見を交わしている。
昨日の日中、私は数時間外で日向ぼっこをしていた。
あるイベントの立ち合いであって、時間中私は何もすることがなく、と言って現場を離れるのはよろしくなかったので、階下でとにかく日向ぼっこをしていた。
大学を出て最初に働いたアルバイト先はバルーン屋で、私はこの仕事が本当に好きだったけれど、仕事の大半は空に浮かんだバルーンを眺めるだけだった。
朝アドバルーンを上げて、夕方下げるまで気候がいい時は本当に何もすることがなく、時間を潰すため色々なことを試していて、読書もなかなか良かったが、結局何もせずに空を眺めているのが一番気持ちよくあっという間に時間が過ぎていた。
昔から日光に当たるのは好きだ。
スエロ本を読みながら、バルーンの下にいて何も空に遮るものなく、無機質な建物の屋上でひたすら陽光を浴びて読書していた時のことを思い出していた。
モアブの周辺は私の想像するユタらしく砂漠と荒野と岩だらけの土地に囲まれているらしい。
本の中で、スエロも著者マークも様々な登場人物が荒涼とした景色の中を歩き、"超俗的な景観と孤立した環境"に"芸術と霊感"を求めてさすらう。
過去に存在した砂漠を彷徨う求道者たちの姿すら重なる。
多くの宗教が砂漠から、荒野から生まれた。
市内の高級住宅街の中で行き交う人の目を気にせず、ぽかぽかとこの本を読んでいて、本当に幸せな気分になった。
後にも先にもこんなことはやらないだろうが、街にいてそこに囚われていない気分になれた。
様々な人が行き交ったが、別に私は誰に見咎められることもなく、穏やかに肯定されていた気がした。
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