いしー

宮城県の利府町にトレイルを作るプロジェクトをしています。トレイルのことに加え、スポーツ、本、歴史、地域のことなど書きます。|一般社団法人タンコーカナリ代表

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宮城県の利府町にトレイルを作るプロジェクトをしています。トレイルのことに加え、スポーツ、本、歴史、地域のことなど書きます。|一般社団法人タンコーカナリ代表

最近の記事

センダイイベントリサーチさんに取材を受けました

私の法人で取り組んでいる利府トレイルの取り組みがセンダイイベントリサーチさんに取り上げられました。 前後半の2回に分けた記事です。どうぞお読みください。

    • 利府「なこその関」の最新記事をあげました

      伊治君呰麻呂の乱が起こった後に、陸奥国司として赴任した大友家持について書かれています。家持が天皇に送った文章から何が読み取れるでしょうか。ご一読ください。

      • 利府なこその関研究会のブログを更新しました

        780年伊治君呰麻呂が起こった後の、多賀城周辺の動きを書いています。参考にしていただければ幸いです。

        • 利府なこその関研究会のブログを更新しました

          ずいぶんと間が空いてしまいましたが、上記のとおりブログを更新しました。更新した記事は「11. 反乱後の多賀城」です。 780年に起きた伊治公砦麻呂の乱は、呰麻呂の私怨と言われていますが、本当にそうだったのでしょうか。今回は、その真相に迫っています。

          なにはともあれ

          新聞に紹介されたからというわけではないんだけど、今回このように紹介していただいて、朝から電話が鳴り響いて、参加者が増えて、一人でも多くの人に赤沼のことを知ってもらえるチャンスが広がり、感謝しかないです。 自分にとって、トレイルをつくることは、単に歩く旅の舞台を用意すること以上の意味を持っていて、きっと今回の赤沼イベントは、そんな感じになると思う。 参加者の皆さんには、単に赤沼の歴史や番ヶ森の景色を楽しんでもらいたい。だけど、楽しかっただけではない、ある種の余韻を持たせたい

          なにはともあれ

          生まれて初めて

          友人と一緒に近場でガサガサをしてきた。 タガメ、ドジョウ、ウキゴリ(?)、ヤゴ、ヒル、そのほか写真には写ってないけど、ヌマエビとかオタマジャクシとか。タガメは初めて見たかもしれない。 場所を何度か変えて、最後は大和町まで行ってきたけど、あそこの自然は別格ですね。ガサガサをするはずが、いつの間にか自然鑑賞になっていました。

          生まれて初めて

          オオシオカラトンボ

          庭の田んぼにトンボが来てくれた。昨日はメスだけ来て卵を産んでいった。今日はすくそばにオスが寄り添っていた。警戒飛翔というらしい。 これから1-2週間経てばヤゴになる。ヤゴになればメダカの天敵だ。メダカがすべて捕食されるのはゴメンだから、最悪手入れをしようと思う。でも、それは最悪の場合。ギリギリまで自然の采配を眺めてみる。 そんなメダカだけど、今日初めて針子と呼ばれる赤ちゃんを確認した。針子って本当に小さいんだね。頼りなくて大丈夫かなと思うけど、頑張って生き抜いてほしい。今

          オオシオカラトンボ

          クリップの謎

          通訳案内士の勉強をしていたら、clip offという句動詞が出てきた。clipという語は元々調べたことはなく、でもペーパークリップのイメージで何かをまとめるものだろう、それをoffするのだから、離すんだなというイメージで、文章を読み進めた。それで特に困ったことはなかった。で、回答後clip offを調べたら、cutとかtrimの意味だと書いていた。ふむふむ、予想通りだ。 しかし、困ったのは、clipを調べたときだった。clipを調べると、そもそもcutやtrimの意味だという

          クリップの謎

          ガサガサしてとれたやつ

          どこの川かは特定しないが。 ヤゴなんかはきれいな水の中にしか住めないから、この川の水はきれいってことにしておこう。

          ガサガサしてとれたやつ

          板谷道の変遷

          「休み松」周辺における板谷道の変遷を今昔マップをもとに見ていく。 ▼下左は昭和3年(1928年)に測量したもの。今から約100年前のこの地図には、「休松」の文字が残り、大郷側の峠にあったことが分かる。この場所は今でも利府と大郷の境界である。道幅は半間以上で、一間未満だった。ちなみに、一間は約1.8メートル。 ちなみに、休み松とはどういうものだったのか。下の「休み松」の写真は利府町郷土史会菅原会長から提供を受け、それをカラー化したもの。カラー化は、今月27日にリフノスの公民

          板谷道の変遷

          スポーツワークショップについて

          利府町で開かれたスポーツワークショップに参加しできた。第一部にゲストで参加したのは卓球の愛ちゃん。声がきれいで、姿勢が立って、言葉がすらすら出てきて、美人で…。なにもかもいい印象しかありません。クロストークで対談相手となった町長も、愛ちゃんのリクルート大成功で、来年度からスポーツ推進課(だっけ?)を新設する利府のスポーツ行政にとって明るい船出だったのでは。 第二部はグループディスカッション。スポーツをやる上で女性が輝ける環境を考えるために、まずその具体的な課題を考えようって

          スポーツワークショップについて

          坂東について

          昨日郷土史会があった。会長が発表した奈良時代の移民政策について、補足的な情報を追加するつもりで「坂東」という言葉についての、自分なりの認識を会長が発表したあとに発言してみた。だが、話してみて、うまく伝わっている気がしなかったので、簡単だけど、ここでも触れておきたい。 私が言いたかったことは、「坂東」という言葉が使われる前と後では、中央の関東に対する意識が変わったということだった。分かりづらいと思うので、以下説明を試みたいと思う。 「坂東」という言葉の初見は「続日本紀」の記

          坂東について

          小6の事件

          昔、地域のスポ小で野球をやっていたとき、こんな事件があった。 練習が終わり、いつも通りボールを片付けていた。ボールをかごに入れ、それを自分より二つ小さい子が、体育館に併設する倉庫に持っていく。倉庫の近くまで来たところで、近くにいたある親がかごからボールを一つ取って体育館の裏の方へ投げた。そして、ボールを運んでいた子に向かって「取ってこい」と言った。なぜそんなことをしたかわからない。でもしたのだ。言われた子は何が起こったかわからないといった具合で呆然としていた。近くにいたぼく

          小6の事件

          ブランディングに思うこと

          ブランド(brand)とは、元々burnだった。burnは燃える/燃やすという意味を持つ単語で、このburnがあるときbrandという言葉を生み出した。なぜburnがbrandになったか。それはあるものに焼き印を押して、他のものと区別したからである。たとえば焼き印は奴隷に押された。お前は人間だ。でも、他の者とは違う。奴隷なんだ。その識別されたものがbrandである。 今では、これがbraning(ブランディング)という行為になって幅をきかせている。とにかく周りと私は違う。私

          ブランディングに思うこと

          キャパとか考えてる?

          物には容量ってなものがある。車なら軽に4人はいいけれど、10人乗ったらキャパオーバー。法律云々の前に、常識的に分かる話。 兵庫県の竹田城は、「天空の城」ブームで観光客が激増し、土が踏み固められた結果、城のシンボルだった一本松が立ち枯れてしまった。いつのころだったか、テレビが毎日のように竹田城キャンペーンをはっていたことがあって、あぁあれかという印象。 ブナの森で有名な鍋倉山には、樹齢400年の「森姫」と「森太郎」と呼ばれるブナがあった。テレビがこれを紹介すると、愛好家が大

          キャパとか考えてる?

          同じことを繰り返すバカ

          17日土曜日、午前中17km歩いて、その足で車で大和町の吉岡へ向かった。そこで2時間ぐらい郷土史研究の人とみっちり話し、家に帰ってたら、体がぶるぶる震え、風呂に急遽入って、夕方に寝た。翌日は一日中寝込んだ。昨日は、朝に少し頭痛と寒気が残っていたけど、昼にはだいぶ回復したので利府町郷土史会の発表会に出席した。今は完全に戻った。 それもこれも、歩く日の前夜、未明4時ぐらいまで起きていたのが原因。完全な自律神経の不調で、体温コントロールがまひってた。歩いてたときから、体の変調を感

          同じことを繰り返すバカ