見出し画像

原価率と顧客サービスと視点

偶然目にした、飲食店の「原価率をあげることが、お客さんのためになると思っていて…」というワード。
まぁ、それはそれでね、そのスレでは「原価と限界」の話だったので良いのですが。

業態がさまざまなので、当てはまらないこともありますが、
原価をあげて良い素材を仕入れてくることが、提供する料理を通じた、顧客満足度向上……のような文脈を、あえて、検討してみる。
視点を変えると、原価率のうちどこを上げるか?という幅が見えてくる。
・設備?(減価償却)も原価率の一部。
・材料費?一番大きいかも?
・人件費?これもおおきいかも。

けれども、意外と、高値で買う食事というのは、お皿の上だけでは無いことが多くて。
・立地。
・景色。
・時間。
・空間。
・落ち着いている雰囲気。
・客層。
・照度(空間の明るさ)。
・従業員の立ち振る舞い。
・イベント感(パーティのようなこと、誕生日ケーキ、キャラクターコラボ)。 
・希少性、限定性(映画館の中のポップコーン)
・手づくり
・目の前の演出(フランベ)
・解説(お酒、食材の知識)
・工場隣接(生感。直送感。説得力)
などなど。

たぶん、もっと要素はある。
人は知覚できることが多ければ多いほど混乱する。
混乱するというのは、単純に、自分の受容できるキャパを超える、予想できるキャパを超えるということ。
超えれば、驚く。
超えてもなお安全であれば、エンターテイメントになる。
例:銀行強盗シチュエーションを用意して、数時間ガチで怯え、疲弊した後に食べるインスタントラーメンが、果たして美味いかどうか。

ひとは、二度とできない体験を、もう一度得たい時に、お金を払う。それが、世界で唯一無二なら、値段はつかない。
あるいは、近似値のものと比べて手が出せる金額なら、「相場だと感じる」のである。

では、「食材の肉」に限定した場合。
お客さんの舌に確実に届くだろうか?
届くと答えたあなたは、いい人だと思う。
本当にそのまま生きて欲しい。
以下の文章を一生読まずに、人生という旅を、性善説のまま生き抜いて欲しい。

届くわけがないのである。
肉がいいのか、調理がいいのか、単独ではわからない。
同じ条件で加熱したものを出して初めて、比較できるのである。
あるいは、産地、育て方、育成年月、イメージ写真、第三者の評価などなど、知識を得ることで、「それが美味い肉らしい」となる。
そして、お皿の上で一度、仕上げ前を提供する、そして、ひとくち食べた後で、フランベして最終加工済とする。
当然、香りも変わる。
その、前後で、目の前の調理を体験して、初めて、違いを認識したうえで、舌にのせる。

そういう、段階が、思い出になり、家族と共有したい記憶になり、他人に語りたいネタになり、大切な人と再体験したいという欲望になる。

「お客様のため」

その優しさのピークのポイントをずらすだけで、さまざまな、「お客様のためにできること」が現れる。
そのためのコストも必要だろう。
だが、その「プレゼントを思いついて実行する」ことが、最大のオリジナリティになる。

逆に、なにもしないことが、オリジナリティになる。
麺の味をひとりひとり味わってほしいとセパレートしたカウンターが、コロナ禍前から、コロナ禍後も、個性になっている店もある。
だが、その店に3人くらいで一緒に行く客もいるのだ。

原価率について、食材という単客単価に注目しても良いし、
セパレートカウンターや、うどん用製麺機の導入のような、3〜5年の設備投資(減価償却費)を検討しても良いだろう。

目線を、短く、あるいは、長く。
自由に曲げ伸ばししながら、遊んでみることで、より、あなたらしい「お客様へのプレゼント」が、創造できるかもしれない。

さぁ、1年後、あなたのお店で笑っているリピーターのお客様はどんなことにおどろいていますか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?