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mixi2に見える価値観の変化

招待制が話題ですね。
Xでも、招待コードを公開している方もちらほら見えます。
それについて、「招待制とは?」と苦言を呈しているひとも。
でも、これって、大きな変化の「前」と「後」の違いが明確に見えてきて面白い。

mixi1(比較のため以前からあるものを1と呼びますね)のときは、招待するツールが、そもそもEメールとかメッセンジャー(個人チャット)だったりして、それ以外はもう、誰もが入り乱れるチャットルームか掲示板だった。
だから、「誰もが見れる場所」に招待コード(招待リンク)を貼るなんてことをすることは、間違いだった。

けれど、今、XやInstagramなど「誰もが見られる」かもしれないが、フォロー&フォロワーの関係が追加されて定着したことで、「招待コードを貼る」ことが、フォロワーさんへのメッセージに近いものに変わっているんですよね。

だから、Xに招待コードを公開することが、「フォロワーのみんな!一緒にmixi2に行こうぜ!(mixi2も使おうぜ!)」という、招待主界隈の活動メッセージのひとつに落とし込まれている気がします。
招待後も、招待主のフォロワーとしてmixi2を使い始めることになるので実際に、フォロー&フォロワーの関係がそのまま継続することになる。
この仕組みが、上手く機能しているので、招待主界隈が丸ごと手軽に移行出来るのは、とてもメリットが大きい。
しかも、当初のTwitter風味に仕上げているので、まるで競合他社の古くからいる定着しきった顧客層を丸ごと根こそぎ奪える可能性がある。新しい機能に不満を持つ古い層をごっそり奪うのだ。

逆に、Xの新しいユーザーは、mixi2に興味を持たないかもしれない。Xの新しい仕様やアルゴリズムに満足しているからだ。

mixi2が、もし、DMやEメールのみでの招待制しかできない仕様だったらどうだろう?
DMでいちいちやりとりするか?50〜60人程度のフォロワー数ではないのだ。特に古くからXを愛用している10年以上使っているアカウントは。
しかも、手軽にDMし合える距離感ではないのだ。フォロー&フォロワーは友人ではない。
けれど、見守られる&見守りたいのが、フォロー&フォロワーなのだ。認知は必要ない。

この絶妙な他人同士の距離感こそが、Twitterが20年近くかけて育てた「界隈」であり、令和の経済活動にも影響してくる距離感なのだ。
フレンド(友人・同窓生)ではないのだから、DMやメールでお知らせされても困るのだ。
かといって、急にアカウントが消えられても、お互いに困るのだ。

mixi1のときは、facebookと同様に、「友人・知人・同窓生」のつながりでしか、招待されることがなかった。
mixi2では、友人・知人・同窓生などのリアルな繋がりをインターネット上に再現するものではなく、インターネット上でゆるく繋がった「界隈」を、コピー&ペーストして持っていきたいのだ。
だからこそ、フォロワーへの公開型招待制での移行が最適解だったと感じる。

今回の「招待制」をきっかけに、インターネット上のひととひとの在り方を、アップデートしなければいけない気がする。
その、象徴的な出来事として、mixi2が起きたのだとしたら、2024年の12月であるべきだったのかもしれない。

やっぱり、時代をつくっていくサービスを創ることができるDNAをもった会社なのかもしれないなぁ。すごいよ。


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