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働く質を高める必要性

「働く質を高める必要性」は、個人には無いと思っている。
ちょっとキツイ言い方だけど、労働者の質を高めるのは、雇用主側の勝手だと思っている。

雇用主の手段は3つ。
・個人の能力を高める
・チームの総合力を高める
・業務を見直しスリム化する

これに対して、「適材適所していく」のが企業側の責任。
雇用時点で「どのような傾向の人物を採用するか」
数年働いてその人物が「どの業務ならフィットするか」「フィットしないので外に出すか」という選択肢が取れる。
なにも解雇だけがその手段ではなく、転職先を斡旋するのも手段になる。不要な人物をおすすめする役回りもその後が難しいかもしれないが。

「バカもハサミも使いよう」なので、「能力が低い」と査定したひとをサンプルにして、その人ができる仕事にまで業務をスリム化する、仕組みを整える。「そのためのものさしにする」という考えを持てば、とても有用だ。
よく間違えるポイントは、間違える理由がある。それを観察して改善させるのは、会社側の勝手だ。
不器用なひとでもこなせる業務なら、海外からの労働者にも可能な作業になるかもしれない。

「部下が使えない」と愚痴ってる人間が、イチバン使えないのだから、責任と工夫の所在は明らかだ。仕事しろ。

今ある素材(人材)を、どのように使って(配置して)、売り上げを最大化するか。
モノにおいても、ヒトにおいても、カネ(投資)においても、情報(キャッチアップするテーマ)においても、同じことだ。

じゃあ、個人側に一切の責任はないか?というと、「個人の年収(手取り)を上げる自由がある」ということだ。
転職して異なる企業でも使える人材になる努力を積み重ねていけば、社内では生きていける。
知人に会ったとき「君みたいな人がうちで働いてくれたら」と言われる努力が必要だろう。
今、所属している企業の中でくすぶっていると感じているなら、ここから離脱する手段をシミュレーションしよう。
この職場から離脱するには、どんなパスポート(技能・資格)が必要だろう?
異業種に行くには何が必要か尋ねてみよう?
いくらでも質問できる場所やサービスは整っている。
給料が少ないのを嘆き続ける自由もある。
欲しいなら、もっと、多くカネが動く業界で働こう。
駄菓子屋と銀行を比べたら、どちらが大きい金額を扱っているか?というクイズには答えられるのに、自分の仕事となったら答えられないのはなぜだろう?
斜陽産業や過疎地にいても給料は変わらない。今、アツい産業を第一線で担える人材になろう。
日本は住む場所も仕事も自由だ。
他の条件を理由に立ち止まるのも自由だ。

働く質を高める必要はない。
企業が求める水準を、実行すればいい。
多過ぎず、少な過ぎず、フィットさせればいい。

自分がどこでどんな生活をして生きていたいか。

生きていく満足感と生きていく価値を高めればいい。
その価値観のモノサシは、個人ごとに、ひとりひとりちがっていいのだから。

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