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大成するために
誰しも大成する可能性はある。
同じような時間を、同じように生きている。
大成していないと感じる人の多くが、細切れな要素にパラメーターを振っていて、それのほとんどが、「芽が出たボーダーライン」の少し下に位置している。
当然、大成させたいのであれば、どれか一極集中させれば、パラメーターがトガるわけで。
「寝る間も惜しんで」という言葉や、薪拾いの間も本を読み続けた二宮金次郎のような美談をモデルケースにすることができると思う。
一方で、万人が、一極集中できないのは当然で、向き不向き、骨格の作り、生命体としての機能の限界、集中力の精度など依存する条件は異なる。
筋肉が付きにくい人もいるし、心肺機能がオリンピック出場選手レベルにはなれない人もいる。
集中力と思考能力の継続時間に限界がある人もいる。
自分が持って生まれたものと照らし合わせて、自分が向いている方向と、向けたい方向(憧れ)が一致するひとなんて、どれだけいるだろうか。
じゃあ、人生そこそこ生きたのであきらめるか?
あきらめようか(笑)
あきらめていいとおもう。
逆に、今日まで、細切れに上げてきたパラメーターで、「芽が出たボーダーライン」に上げやすそうな物事はなんだろうか?
色鉛筆を順番に整えて片付けるのが早い とか
まんじゅうを食べるのが早い とか
マリオの1-1までは完璧 とか
洗濯物を畳むのが好き とか
三輪車を漕ぐのが大人になってからも速い とか
「くだらないスキル」と自分を笑うのはもったいない。確かに、「トイレットペーパーの残りを見極めるのがうまい」とかは自分の身を守ることにしか使えないかもしれないが、ジャンルわけして、広くとらえてみると、自分がどのジャンルに興味を持ってきたのか、興味を持ったもののうち、「好きこそものの上手なれ」なのか「下手の横好き」なのか、判断ができるだろう。
下手なものでも、それをやっているときや、触っているときに幸福になれるのなら、しあわせものだ。堂々と趣味だと言ったらいい。
「プロゲーマーにはなれないけれど、コントローラーをもって没頭できている時間が最高だ!」
そういうものをもっているひとは、大切にすべきだし、趣味の時間を確保するために、生活の雑務をコントロールしていく理由が生まれる。
逆に、わりとできるけど、心がざわざわするもの。
「色鉛筆を順番に並べるのは速い自信があるが、正直、次使うときに気にならないから順番なんてどうでもいい」
そんなひとは、心が向いてないジャンルとして整理してみよう。
いくら早くても、心が削られては、よろしくない。
そういう方向のジャンルから離れることで、心を穏やかに保つことができる。
「色鉛筆を並べる仕事なんかないだろ」と考えるのは安直だ。
揃えて並べる。綺麗に準備する。
例えば、小売店の店員や、衣料品の店員、製パン業の菓子パン部門、クリーニング店の店員も、案外、同じようなことをやっている。
確かに、できるし、褒められたこともあるだろうけれど、そもそも「色鉛筆のならびとかどうでもいい」という土台の上にテクニックがあっても、「大成」ではないのだから。
ここまで読んで、あなたの個性を振り返ってみただろうか?
「あきらめる」という言葉の語源に、
「明らめる」という使い方が存在するのだ。
事情や理由をはっきりと見定めることをいう。
じゃあ、人生そこそこ生きたのであきらめるか?
あきらめようか(笑)
あきらめていいとおもう。
今日までの、ちいさな細切れの経験値を、愛おしく眺めてみよう。
些細なことばかりで、「俺は何をやっていたんだ」と悲観的になるのもやめよう、悲しんでいるフリをして、自分の冒険譚に酔うのは2秒でいい。ちょっとだけにしよう。
「確かに生きてきたんだ」を整理してみよう。
大谷翔平さんがホームランを打ってベースをゆっくりと回っているあいだに、あなたのnoteを読んだ人が、ちょっとしあわせになっているかもしれない。
オリンピックの選手が表彰台に上がっているあいだ、失恋した親友の隣で何も言わずに座っているだけかもしれない。
華やかさはちがうけれど、同じだけ尊い。
さあ、人生そこそこ生きたので明らめる時間だ。
明らめようか(笑)
明日、伸ばしたいパラメーターはどれにする?
日本人は翌日を、「明日」と呼ぶんだ。
ステキじゃないか。
さぁ、あなたの番ですよ。