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アドラーの教え「嫌われる勇気」を読んで…

起業して2年が過ぎ、大きな壁にぶち当たり、社員が次々と辞めていき、自分自身、頭がパンクしそうな状態にいながら、何か新しい思考回路に触れようと咄嗟に手に取った本が「嫌われる勇気」著[岸見一郎・古賀史健]でした。

これまで本は多少読んで来たのですが、アドラー心理学には初めて触れました。
衝撃が走りすぎて、頭打たれ過ぎたので、自己紹介や経緯はさておき、今日はメモがわりにとにかく気になった事を書き殴らせて下さい。

その名の通り[誰の役にも立たないノート]で申し訳ない気持ちですが、ゆっくりと更新していきます。なにより、もっと早くアドラー心理学と出会いたかった…


アドラーとは?
冒頭のみWikipediaから引用。

アドラー心理学(アドラーしんりがく)、個人心理学(こじんしんりがく、英: individual psychology)とは、アルフレッド・アドラー(Alfred Adler)が創始し、後継者たちが発展させてきた心理学の体系である。個人心理学が正式な呼び方であるが、日本ではあまり使われていない[1]。
日本におけるアドラー心理学の第一人者である岸見一郎氏によれば、もともとはジークムント・フロイトとともに研究していたが、その学説はフロイトの理論とは大きく異なり、たとえば苦しみの原因をトラウマに求めないことなどがあげられる[2]。
アドラー自身は自分の心理学について、個人心理学(ドイツ語: Individualpsychologie)と呼んでいた。それは、個人とは分割できない存在である、と彼が考えていたことによる。
アドラーが自分の心理学について個人心理学と呼んだように、アドラー心理学では、個人をそれ以上分割できない存在であると考えることから、人間の生を、個人という全体が個人の必要な機能等を使って目的に向かって行動している、というふうに考えている。より具体的には、人間は相対的にマイナスの状態(劣等感を覚える位置)から、相対的にプラスの状態(優越感を覚える位置)を目指して行動している、と考えている。


ここからは完全に自分の気がついたところのみをとにかくメモっただけのものです。
文脈もないので誰のためにもならないかもですが、記録させて下さい🙇‍♂️


[行動面の目標]

・自立すること
・社会と調和して暮らせること

[これを支える心理面の目標]

・わたしには能力がある、という意識
・人々はわたしの仲間である、という意識

【人生のタスク】

①仕事のタスク(一人で完結はあり得ない)
②交友のタスク(距離と深さ)
③愛のタスク(夫婦・互いを対等の人格として扱う)(親子・逃げてはならない)
さまざまな口実を設けて人生のタスクを回避しようとする事態=「人生の嘘」

【承認欲求を拒否する】

誰かからの期待を満たすために生きる必要はない。それはつまり、他人の人生を生きている事になる。じゃああなたの人生は誰が生きてくれるのですか?
ましてや、他者はあなたの欲求を満たすために生きているのではない

【課題の分離】

これはだれの課題か?を見極め線を引く。
他者の課題には介入せず、自分の課題には他者を介入させない。
自分はそこから逃げない事
対人関係を良くする唯一の手段
近い家族でもなおの事、全ての他者との対人関係に通じる。

【嫌われる事を怖れるな】

他者の評価を気にかけず、他者から嫌われる事を怖れず、承認されないかもしれない…
というコストを支払わない限り、自分の生き方を貫く事はできない。

【自己中心的から他者への関心へ】

他者からどう見られているか、ばかりを気にする生き方こそ「わたし」にしか関心をもたない自己中心的なライフスタイルだ。

【あなたは世界の中心ではない】

共同体の一員としてそこに属している。
仕事、家庭、交友、そこに居場所があると感じられること。ここにいてもいいのだ。という所属感がある。そして自分の人生における主人公はわたしである。が、
しかし、わたしは世界の中心に君臨しているわけではない。主人公でありながら、あくまでも共同体の一員であり全体の一部だ。

【所属感とは】

ただそこにいるだけで得られるものではなく、共同体に対して自らが積極的にコミットすることによって得られる。つまり
=人生のタスクに立ち向かう事。

世界の中心がわたしで無い以上、自分の足で立ち、自分の足で対人関係のタスクに踏み出さなければならない。
「わたしに何をあたえてくれるのか?」ではなく「わたしはこの人に何を与えられるか?」を考える事こそが、共同体にコミットするという事だ。

【あなたの属する共同体の範囲は無限大】

家庭、学校、会社、地域、国、社会、世界、地球、宇宙。とにかく無限大の共同体にわたしは属しているし、そこにおいてもなんらかの貢献ができているという気づきを得よ。
会社こそが全てだと思ってはいけない。その外には社会、国家、さらにもっと大きな世界が広がっているし、事実少なからずわたしは貢献している。それを実感しよう。
より大きな共同体の声を聞け。

【課題の分離から、共同体感覚へ。大切なのは横の関係】

相手を叱ってはいけない。
さらには、褒めてもいけない。
褒めるというのは無意識に相手を自分よりも低く見ている事になる。
自分より能力の劣る相手を操作する事なので、そこには感謝も尊敬も存在しない。
背後にある目的は操作になる。
縦の関係を作ってしまう事になる。
人間は同じでないけれど対等。これがいい。
経済的に優位かどうかと、人間的価値は別。

【縦の対人関係は危険】

対人関係を縦で捉えて、相手を自分より低くみているからこそ、介入してしまう。
介入によって相手を望ましい方向に導こうとする。自分は正しくて相手は間違っていると思い込んでいる。

【勇気づけ】

介入するのはよくない。横の関係を築くことができれば介入はなくなる。
じゃあ、目の前に困っている人がいたら?
援助をする必要がある←介入と援助は違う。
他者の課題に土足で入り込み指示を出すのが介入だ。
一方、大前提に課題の分離があり、横の関係がある。その上で命令、指示するのではなく本人に「自分はできる」と自信を持たせて、本人の力で課題に立ち向かっていけるように働きかける事。
【具体的には】
他者を評価しない事。
評価とは縦の関係の上になりたつもの。
ありがとう。や助かったよ。と、
感謝や尊敬を伝えられるのが横の関係。
自分には価値があると思えたときにだけ、
人は勇気を持てる。
「よい」や「悪い」は他者の物差し。自分の自由にブレーキをかけてしまう。
一方ありがとうは、評価ではなく感謝。
感謝の言葉を聞いた時、人は他者に貢献できた事を知る。

【どうすれば自分には価値があると思えるようになるのか?】

それは「わたしは共同体にとって有益なのだ」と思えた時にこそ、価値を実感できる。
他者からよいと評価されるのではなく、自らの主観によって「わたしは他者に貢献できている」と思えてはじめて、自らの価値を実感する事ができる。

【ここに存在するだけで価値がある】

他者の事を好意のレベルではなく「存在」のレベルで見てください。
その人が何をしたか。という次元で見ない。
存在している。それ自体を喜び、感謝の言葉をかけていく。
存在しているだけで他者の役に立っている事は、紛れもないな事実です。

【そんな事ができるか?存在に感謝するなど偽善ではないか?】

誰がが始めなければならない。他の人が協力的でないとしても、それはあなたには関係ない。他の人が協力的かどうかなど考える事なく、あなたから始めるべきだ。

【縦の関係を築くか、横の関係を築くかは、ライフスタイルだ。使い分けはできない】

もしもあなたが誰が1人でも縦の関係を築いているとしたら、自分で気づかないうちにあらゆる対人関係を「縦」で捉えています。
制度の問題ではない。誰とでも友人のように振る舞え。という意味ではない。意識の上で対等である事が大切。主張すべき事は堂々と主張することが大切。

【人生とは連続する刹那である】

人生は登山じゃない。紆余曲折しながら頂点を目指す事ではない。人生は点の連続だ。
計画的な人生など、それが必要か不必要かという前に、不可能である。
じゃあ努力は必要ない??いや、そもそも
そう言う事ではない。
バイオリニストも弁護士もプロアスリートも「いま、ここ」を瞬間的に集中して生きていたはずだ。その「いま、ここ」の瞬間が無数の点となり、そしてふと周りを見渡したときに「こんなところまで来ていたのか…」となる。いずれも、その瞬間を「山の途中」という意識で生きていたのではないはずだ。

【いま、ここに強烈なスポットライトをあてる】

自分に強烈なスポットライトが当たっていればすぐそこの手間さえ見えない。
人生全体にうすらぼんやりとした光を当てているからこそ、過去や未来が見えてしまう。見えるような気がしてしまうんだ。
過去が見えたり、未来が予測できるような気がしてしまうのは「いま、ここ」を真剣に生きておらず、ぼんやりと生きている証拠だ。

人生は連続する刹那であり、過去も未来も存在しない。過去や未来をみる事で自分に免罪符を与えようとしているんだ。
過去にどんなことがあったかなど、あなたの「いま、ここ」にはなんの関係もないし、未来がどうであるかなど「いま、ここ」で考える問題ではない。
「いま、ここ」を真剣に生きていたら、そんな言葉など出てこない。
「いま、ここ」にスポットライトを当てるというのは、今できることを真剣かつ丁寧にやっていく事なんだ。

【人生最大の嘘】

大学に進みたいと思いながら勉強しようとしない。これは「いま、ここ」を真剣に生きていない態度でしょう。
毎日少しでもいいから数式を解く、単語を覚える、そうするとそこには必ず「今日できたこと」があるはずです。
今日という1日はその為にあったのです。
決して遠い将来の受験のために今日があるのではありません。

遠い将来に目標を設定して、今はその準備期間だと考える。
「本当はこれがしたいけど、やるべき時がきたらやろう」と考える。
これは人生を先延ばしにする生き方です。
人生を先延ばしにしている限り、絶対にどこにもいけない。
「いま、ここ」が準備期間の我慢の時期だと思っているのだから。

人生はいつもシンプルであり、深刻になるようなものではない。それぞれの刹那を真剣に生きていれば、深刻になる必要などない。

「いま、ここ」を真剣に生きていたとしたなら、その刹那はつねに完結したものである。
「いま、ここ」で生を終えたとしても、それは不幸と呼ぶべきものではない。

人生における最大の嘘、それは「いま、ここ」を生きないことだ

過去をみて、未来を見て、人生全体にうすらぼんやりとした光を当ててなにか見えたつもりになること。
「いま、ここ」から目を背け、ありもしない、過去と未来ばかりに光を当てている。
それは、自分の人生に、かけがえのない刹那に、大いなる嘘をついてきたに等しい。

この刹那を、「いま、ここ」を真剣に生き切る勇気があるか?

それを決めるのは昨日でも明日でもない「いま、ここだよ」


【導きの星】

自由を選ぼうとした時、道に迷うことはあるでしょう。
その指針さえ見失わなければいい。
こちらの方向に進んでい」ば幸福がある。
という、巨大な理想になります。

それが「他者貢献」です。

あなたがどんな刹那を送っていようと、たとえあなたを嫌う人がいようと「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいい。嫌われる人には嫌われ、自由に生きて構わない。

そして、刹那としての「いま、ここ」を真剣に踊り、真剣に生きましょう。

過去も見ないし未来も見ない。完結した刹那をダンスするように生きる。

誰かと競争する必要もなければ、目的地もいりません。踊っていれば、どこかにたどり着くでしょう。



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