第19回 サラリーマン賢治が働いた 旧東北砕石工場跡 を訪ねて
旧東北砕石工場跡 を訪ねて
場所は一関市東山町にあります。もう少し奥にいけば猊鼻渓という観光地を控えています。移動は車で平泉前沢インターから約25分。ナビでないと全くわからないルートで到着しました。今回は、石と賢治のミュージアム訪問と分けますので簡潔に記していきます。
概要ですがHPから引用します。
サラリーマン賢治の誕生ですね。鈴木東蔵はかなり金銭面で苦しい経営状態だったようで、当初昭和四年、鈴木東蔵が賢治に肥料用石灰の販売を相談することからはじまりました。賢治が勤務するにあたり父政次郎が出資する条件で昭和六年ニ月技師として採用して貰い、自ら販売にも当たることになります。ここでも政次郎の親バカぶりが見受けられますね。
当時町長の給料が35円の時分に50円貰う契約でしたが、金銭面が間に合わず石灰の現物支給をされることもあったようです。
なれない苦労から再び身体を壊すことになり、九月二十日 商品売り込みのため上京中に発熱で倒れ、旅館で家族に遺書を書くことになります。そして九月二十八日 花巻に帰り、再び療養生活を送ることになりました。
ここからは、皆さんがご存知の雨ニモマケズ手帳に昭和六年十一月三日雨ニモマケズ詩が記されることになるのです。非常に短い時間でしたが農民の為に命がけの仕事を成し遂げました。
鉱山跡と同じ印象を受けましたので、何枚か写真を掲載します。