コミュニケーション・コストについての考察
「コミュニケーション・コスト」という言葉を聞いたことがありますか?
文字通り「コミュニケーション(意思疎通)にかかるコスト」という意味です。使われ方としては、
あの人は、なかなかこちらの言うことが伝わらなくて、コミュニケーション・コストが高くて困る、とか
あの部下は、一回言えばそれ以上のことをやってくれる。コミュニケーション・コストの低い人だ
とかでしょうか。(会話でこのワードを使ったことはありませんけど)
「なんでもコストで考えるなんて」と思われる人もいるかもしれません。
コミュニケーションという、どちらかといえば曖昧な行為に対しても「コスト」というドライな考え方をするのは、好きじゃないと言う人もいるでしょう。その気持ちはわかります。
でも、仕事をするときの考え方としては有効だと思います。
「コミュニケーションにかかるエネルギー」のコスト換算。
誰かに意思を伝達するのに必要なコストはどのくらいか。
複数の人とコミュニケーションする場合などには、便利ですよね。
なるべく低コストで目的を達成すること。
コミュニケーション・コストとは?
ネットで調べてみたら、こんなのが出てきました。
コミュニケーションコストとは、情報の伝達・意思疎通にかかる時間や手間のことを指します。 同時に、報告・連絡・相談など、ルーティンで必要な情報共有にかかる手間を指すこともあります。 コミュニケーションコストが低い場合、手間や時間をかけず快適なコミュニケーションができている状態だと言えるでしょう。
コミュニケーションにかかる「時間」や「手間」のことをいうのが一般的なようです。
時間や手間だけじゃない
それだけじゃないと思ったのです。
コミュニケーションにかかるコストは「感情」の部分も大きい思います。
つまり、
「すごく不機嫌な人」とか「なんか感じが悪い人」もコミュニケーション・コストが高いと言えるのではないでしょうか。
「返事をしない人」とかもそうですね。
意思の伝達にかかる時間や手間は短かったとしても、「感情的な負荷が大きい人」は高コストと言えそうです。
あなたの周りにも「なんかこの人喋りかけにくいんだよな」という人がいませんか?
妙に尊大だったり、横柄な人。(ぼくはつい最近そういう人に会いました)
その人は、コミュニケーション・コストが高い(=まわりから話しかけにくい)人です。
これって、仕事においてはけっこう不利なんじゃないかと思います。
話しかけにくい人には情報が入ってこないから。
それでいいという人もいるかもしれません。情報なんてネットにいくらでもあるから、と。
でもぼくは思うのですが、ローカルすぎる情報はネットには落ちてないし、少人数の共同体のなかでは、そういった情報によって過ごしやすさが変わるというのは歴然とした事実です。好むと好まざるとに関わらず。
なんだかこのままだと個人的な愚痴になってしまいそうなので、建設的な方向に発展させます。
「コミュニケーション・コストの高い人は損をしている」
我が身にも当てはめて考えてみると、反省すべき点は見つかりそうです。
ぼくも人から「けっこう近寄りがたい空気がある」と評されたことがある人間です。
近寄りがたいというのも、コミュニケーション・コストが高い状態ですね。
自分も気をつけたいと思います。
低ければいいというものでもない
逆に「コミュニケーション・コストが低い」のはどんな人か?
意思伝達に時間と手間がかからない人、などはコストが低いですね。
でも、低ければ良いというものでもない気がします。
あまりにもコミュニケーション・コストが低すぎると、「あれやっといて、で伝わる人」のように軽く使われてしまう可能性があるからです。
なんでも頼まれてしまう人っていますよね。彼(彼女)らはコミュニケーション・コストが低いあまりに、どんどん周りから仕事を振られてしまう。
コストが低いのも考えものですね。
かと言って高すぎるのも問題。
結論
結論として、理想というか目指すべきなのは
「状況に応じて、自分のコミュニケーション・コストを調節できること」が最強だと思いました。
あるとき(ある人)にはコストを高くする。
わざと感じ悪くする、とかですかね。
またあるとき(ある人)にはコストを低くしていく。
明るく朗らかに、とかでしょうか。
なんだか人によって態度を変えているような気もしてきましたが、
「コミュニケーション・コストの調節機能」をうまく使いこなせば、
ストレスが少ない人生を送れるような気がしました。
おわります。