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デッドマンウォーキング。


友人から借りていたDVDを見た。

デッドマン・ウォーキング

「死刑囚が歩いている。」

死刑囚が刑を執行されるまでの話だった。

このDVDを貸してくれた友人は、

都内で無差別殺傷事件を起こした死刑囚の支援者。

その人は毎月死刑判決を受けた人の面会に行っているのだが「支援者」か、

「友達」だか、正確なことはわからない。

一般で言う友達以上の関係性を持っているのは確かだ。


私が相談員をする「獄中者の家族と友人の会」の活動は、死刑判決を受けた人の再審請求が中核である。

そして、死刑判決を受けた人に寄り添うというのは、人権について、生き様について、根源を問われる重みがある。


「社会を明るくする運動」でも、再犯防止活動でも、死刑囚は範外である。

政府も、他の矯正施設、保護施設も、死刑囚のためには何もしない。できない。


映画の上告審で無罪の主張をする死刑囚。

「収容されている6年間で法律書をくまなく読んだ」と彼はいう。

これまであってきた多くの刑務所経験者も、刑が確定するまでは六法全書を読み込み、自己の都合の良い部分を暗記して希望をつないでいた人が多い。

たとえば「懲役又は禁錮に処せられた者に改悛の状があるときは、有期刑についてはその刑期の三分の一を、無期刑については十年を経過した後、行政官庁の処分によって仮に釈放することができる。」という刑法第28条。

この条文だけを鵜呑みにし、

「俺はパーフェクトに真面目に受刑生活を送るから、6年刑だけど2年で出られる」

という確定前の収容者が居た。

受刑生活を長く経験した自分にとっては、

「全打席ホームランを打ちます。」

という、新米野球選手のように現実感がない言葉に響く。


さて、映画「デッドマンウォーキング」に戻る。

恩赦を求めて弁護士と審査会をするシーン。

死刑執行の可否の議論が、街頭デモやテレビで行われていた。

涙しながら家族と面会し、電話をする死刑囚。

息子に最後のハグを求める母は、

「抱きしめたら二度と離したくなかった」

という。

息子の最期に出る言葉も「愛している」だった。


「ああ、日本の刑務所より権利が明確に制度化されている。」


と、羨ましくなった。

日本の刑務所は、電話ができない。

(被告人ならば弁護人とはテレビ電話ができる)

日本の刑務所は、アクリル板越し以外に家族に会えない。

家族以外の友人との外部交通もかなり厳しく制限される。

死刑執行も、事後報告が主だ。

映画では、6日後に死刑が執行されるとわかっていた。

日本では、自分の命日は、当日になってみないとわからない。

オウム真理教の死刑囚に関しては、テレビでゲームのように執行された人に✗印を着けていく番組があったが、これもおかしいと思う。

残酷な行為は、残酷さを感じないものの意思で行われる。

死刑執行の印鑑を押す法務大臣

(実際は官僚の指示で法務大臣が動き、法務大臣秘書が書類を作成)。

戦争を大義とする政治家。

末端でその意志の実行をするたちは、

「知らなかった。」

で、責任を回避しようとする。

無知は罪だ。

さて、

日本の死刑制度はどうなっているのか、

「死刑囚が安心して死刑を受け入れられるように」

という処遇をしている。

いうなれば

「死にたくなるような処遇」

をするのだ。

生きる希望からの孤立。

死ぬことが安堵と思えるほどの孤独。

拘置所の部屋の作りから自殺は不可能。

だから、緩やかな自殺として、セルフネグレクトが始まる。

精神安定剤をたくさん飲み、心が壊れていく。


その死刑囚と面会する家族も辛い。


わたしにできることは、事実を見ること。

独房の中でも希望を見つけていくこと。

死刑囚には普段読んで楽しかった雑誌を。

気遣いのある手紙を。

応援してくれる人がいる社会とのつながりを。

与えていく。


微力ながら、そういう活動をしてきた。

微力なのは、資金を得ることができないから。

「彼の家族は貧しい。彼も貧しい。」

有能な弁護士と、徹底した事件の検証。

そういった資源を、資金がないから得られない人が死刑囚なのだ。


それでも、死刑囚の支援をするのは、

私は、人間として生きるから。


映画の死刑執行支持をする被害者遺族たちは、

「あいつはアニマルだ。殺してもいい」という。


人に対して常に敬意を持って接すること。

私は、人生に問われている。

良心に従っているか?と。





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