能登での暮らしを考えつつ、都市部の暮らしで思うことなど
時々能登で暮らす生活への移行を考えつつ、雪のシーズンに入ったので、基本は普段住んでいる神奈川ー東京暮らしをしています。本業もまぁまぁ忙しいし。
(あ、オンボロMacをようやく買い替えて、写真現像できるようになりました。能登での写真をFlickrにアップしています)
https://www.flickr.com/photos/iwayan/albums/72177720319613533/
明日12月22日、仲良くしている登戸菌屋で「能登の牡蠣と酒の会」をやるので、何か少し話そうと考えていて、今年能登に行ったり、311後に宮城のあちこちに行ったり、南陽市のワイナリー Grape Republicに行ったりして感じてきたことを頭の中でまとめています。
都市部で生活したり会社勤めをしていると、普段の仕事や生活にあまり困らないんじゃないかと思います。忙しいとか、給料もっと欲しいとか、混雑が苦痛だとかありますが、財布にお金があれば普段の生活はどうにかなってしまう。これは東京近辺のようないわゆる都市部だけでなく、僕が育った金沢のような地方都市でも、まったく同じではないがそうした傾向があるでしょう。
そして、お金でどうにかなるから助け合う必要を感じることもなくて、たとえばマンションの自治も、管理料だけ支払って後は任せたって感じになりがちです。
一方で、都市部ではない所、特に奥能登のように人が少なく社会インフラも充実していない場所で暮らすと、たぶん普段の生活はもう少し手間がかかるだろうと思います。生活に必要な物を手に入れること、食材の下ごしらえや料理、家の修理といったことです。
でも、それは楽ちんなことではないだろうけど、良くないことかというと、そうではないのではないか?
のと復耕ラボの亮さんが、能登の「手間がかかることの豊かさを大事にしたい」と話していたのが印象に残っていて、そうした部分は確かにあるなあと思うのです。たとえば、コンビニのおにぎりと、能登で地元の方からいただくものとは味が全然違うし、お魚もそうです。食べ物だけでなく、景色や空気感、時間の流れかたも異なっています。
そして、どちらが豊かなのか、どちらの生活を好むかという観点だけではなく、災害が起きて社会インフラや流通が機能しなくなった時には、都市部の便利さは無くなります。そういう非常時には、普段から自活の割合が多い方が強い。
そして日本の場合は、将来も災害が起きない安心な場所は、あまり無いのではないでしょうか。
僕自身、災害への備えのために能登暮らしを考えているということはまったくなくて、単に能登に行きたいし滞在したいだけなんですが、明日の「能登牡蠣とお酒の会」に来てくれる人たちに、そうしたことを伝えてみようと考えています。