(ボスニア)トゥズラからスレブレニツァ-不安な道程-
おそらく瞬間的な不安や恐怖は他にも感じた(財布すられたりしたし)けど、一番記憶に残ってるのは、20代前半の学生の時にヨーロッパに行った時のこと。今から10年以上前の2013年9月です。
その時はまずスウェーデンに友達に会いに行って1日ほど滞在し、ボスニアのトゥズラという町の空港経由でスレブレニツァを目指していた。
スレブレニツァは、ボスニア紛争時代に大規模な虐殺が起こったところ。いわゆるダークツーリズムです。
中学の時に「黒猫白猫」を見てからクストリツァ、ひいてはボスニアに興味を持ち、この前にもサラエボに行き、大好きだから、なんというか…未だこの国に深い傷を残している、その最も深い傷の1つを見てみたかった。
トゥズラ
夏の終わりの曇った日にトゥズラの空港に着いた。
一応国際空港だが、日本の地方空港より狭い。
この時代はUberなんてないので、空港にいるタクシーを拾う(街から車で20分くらい)。
アジアから1人で来る観光客は珍しく、気さくそうなタクシー運転手のおっちゃんから「なんできた?」と言われたので、スレブレニツァにバスで行って、そこからサラエボに行く、と伝えた。
するとおっちゃん、「ここからスレブレニツァに行くバスはないよ!?俺が連れてってやるよ!」と言ってくる。
「いやバスあるよ」「ないよ!宿とってないんでしょ?ちょっと安くしてあげるから!スレブレニツァなんて何もないから、ボスニアまで連れてってあげるよ!」
…こいつ…
いや、公式サイトの情報が最新じゃないことも確かにあるから、本当にバスがない可能性はゼロではない。
だがこのおっちゃんの言葉が嘘である可能性の方が明らかに高い。トゥズラは空港がある街、最悪本当にバスがなくても宿はあるだろうし、首都のサラエボまで出てるバスがないなんてありえない。
とはいえ、一抹の不安を抱えつつもトゥズラの街中で降ろしてもらう(「いいの!?ないよ!?サラエボ行くなら俺のほうが安いよ!?」ってずっと言ってた)。
降りた場所の近くの木陰で、真っ黒な野良犬がぴくりともせず横たわっていたのだけど、あれは…
…確かめる勇気はなかったけども、曇天も相まって、不吉な感じが否めなかった。
とにかく、絶対バスある…いや70%くらいある…と思ってバス停に行く。
まあ、もちろんありましたよ。ええ。
今書いてて思ったけど、あれでもし騙されて乗り続けてたら、ボラれるだけで済んだのかな…?…
…さておき、バスの出発まで時間があったので、トゥズラを少し歩いてみました。
何故座る部分の板がないのか。何があったんだ。てか何故そのままなんだ。
一応こういう広場があります。
写真だと綺麗ですね。
でもね、車通りからこの広場に行くまでの道、信じられないくらい汚かった。ゴミが散乱してるし、空き家になった店のガラスは割られてて中もゴミだらけ。
なんだろうな、こう…曇りだったのもあって、街全体がどんよりした空気に包まれているような感覚になってしまった(それは私の心持ちがそうさせるのだろうけど)。
この時点で、無意識にスウェーデンと比べてしまう(トータルではバルカンの方が好きなんだけど!)
スレブレニツァへ
この時多分15時くらい。Googleで見ると車でスレブレニツァまで2時間くらい、何駅先かも分かってるし、このどんよりした気持ちも騙されかけたことも、バスに乗れば目的地に…ずっと行きたいと思っていた場所につくんだから、もう大丈夫…と思っていました。
が、乗って10数分後、いきなり標識も何もない所でバスが止まり、道端のおばちゃんを乗せてまた走り出しました。
え、バスって…そういうタクシースタイルが可能…?
というわけで、何駅先かという情報は一瞬で役に立たなくなりました。今バスが止まったのが、誰かが止めたからなのか、乗客が降りたいって言ったからなのか、はたまたバス停なのか、全くわからない。
もちろんアナウンスや電子表示なんてない。
まあまて、このバスはおそらく…多分…スレブレニツァが最終。そんなに大きい街ではないし、とりあえずそこに着けばいいんだ…。と気持ちを落ち着かせる。
バスは、稀にトゥズラ程ではないにしろ大きめの町を通るものの、基本的にはバルカンの山の中を縫って進んでいく。別の車とすれ違うこともあれば、手作りかと思われる木でできた、煤けて真っ黒な馬車に家族と荷物を乗せた人ともすれ違う。彼らがバスに投げかける目線に光はなく、なんの表情もない(そりゃまあ満員電車の日本人みたいな…面白くもない日常の場面だからね)。
でもこの時点で少々参っていた私には、彼らの無機質な目線は拒絶に感じた。ここにもし取り残されたら、どうなるのか…
元々が都会育ちで、田舎よりも都会の方が落ち着く私にとって、ここで放り出されるのは悪夢だった(勝手に来たくせにな)。
気がつくとすでに17時。
もはやスレブレニツァが終点という認識も怪しくなってきたので、大きめの街に着く度に目を凝らして町、ないしバス停の名前を目を凝らして探した。もしここがスレブレニツァで、乗り過ごしてしまっていたら。
大きめの街と言っても、人通りは少ない。ほぼない。目抜通りであろう通りに並ぶ店には、ケバケバしく時代遅れな服を着た古びたマネキンが並ぶ。
こんなところに取り残されたら(…勝手に来たのにね、うるさいね)。
当時は学生でケチだったので、Wi-FiやSIMカードなんて持ってない。自分がどこにいるのか、本当にこのバスがスレブレニツァに着くのか、ちゃんと向かっているのかも分からない。
夕日が落ちそうになった時に、隣の人に「これはスレブレニツァに行くか」と聞いた。
でも英語が通じないので、意思疎通ができない。そしてこの状態で誰も何も言わないということは、このバスの人は誰も英語が喋れない可能性が高い(バルカンの人は助けてくれる人が多いので…)。
詰んだ。
スウェーデンにいればよかった。
友人もおり、美しい公園があり、ベンチもちゃんと吸われる状態で、街は清潔で、福祉が充実しており、バスも無秩序に止まったりせず、アナウンスや表示も親切な…
私は(そういう?とこも含めて)バルカンが大好きだけど、この時は暗くなって行く道と見慣れない田舎の風景に不安に駆られて、おまけに一人ぼっちで孤独でもあり、痛烈にこの旅程を後悔した。
このバスの道のりが、今までで一番記憶に残る辛い時間だった…。
結局19時くらいにバスは終点に着いた。
バス停にはスレブレニツァの文字がある。
着いた…
いや着いてない、ここはスレブレニツァのどこで、宿はどこだ。バス停も周りも暗く、Wi-Fiはなく、町の中心もわからない。
先ほど話しかけた男性がまだいたので、その人と運転手に宿の名前を書いたノートを見せる。
俺はわからない…でもあの人が知ってるかも!
というような会話がなされ、バス停から少し歩いたところにある小さな食堂に連れて行かれる。
そこでは町のおっちゃん達数人が集まって、店の小さなテレビでバスケ観戦をしていた。
とりあえず座って試合が終わるのを待て、と言われる私。
10分くらい…?で試合は終わり(ボスニア負けたような気がする)、おっちゃんがなんと車で送ってくれる。
※知らない人の車に1人で乗ってはダメです。本当に。
で、ここのはずだ、というところに着くのだが、明かりがついていない。ここなんだけどねー?という感じのおっちゃん。
呼び鈴を鳴らしても誰も出てこない、というか人の気配がしない。
ここまで…来て…!?
おっちゃん含めて途方に暮れていると、チャリに乗った10歳くらいの少年が通りかかる。彼は英語が喋れるので、事情を説明すると、
「大変だ!僕知ってるから呼んでくるよ!!」と夜道に駆けていく少年。
なんて…優しいんだ…よくできた子だ…
そして数分後、宿の家族が(他に家があるとかだったかな…覚えてない)部屋着で現れる。自転車の少年はそれを見届けて誇らしそうに去っていく…
彼も今はもう働いてる年頃だな…良い子だった。幸あれ…
宿
ここからはもう不安とは無縁でした。
奥さん?と旦那さん、多分旦那さんのお母さんと猫ちゃんと、宿…というか家…の庭のテーブルに座り、コーヒーをいただきながらほっと一息つく。
何を喋ったのかは覚えてないけど、のんびりした、気取らない穏やかな時間だった。張り詰めていた不安と緊張、後悔はこの時には完全に溶けていた。
ちなみに多分泊まったホステルはここ。
https://maps.app.goo.gl/FFHekh9ZXMAP7ZNU8?g_st=com.google.maps.preview.copy
4人か6人部屋だったけど、私以外に同じ部屋に泊まっている人、どころかこのホステルに泊まっている人はいなかったので、とても快適だった。
あと補足すると、この宿から最寄りのバス停は歩いて2分なので、多分もう一つ先のバス停で降りたんだよね…
さいごに
そもそもバスの所定時間なんてちゃんと調べていけば分かる…いやまあ、あの止まり方で正しい時間に着くのかは怪しい…でも目安はつくはず。
この時の私はなんとかなった、スレブレニツァの人たちの優しさに助けられたけど、タクシーの運転手のように、優しく見えて嘘をいう人もいるから、事前の準備とインターネット環境は本当に大切…
ちなみに、スレブレニツァにはなんと私が使えるATMがなく(対応してるマークはあるのにエラーで使えない)しかも手持ちも少なく、いざ最終日にサラエボ行きのバスに乗ろうという時、現金足りなかった。
え、ここで…不法労働して金貯めるしかないのか…?
一応、スウェーデンのお金はあった。
だからこれを足してどうにか乗せてくれないか、とお願いするも、そんなに英語も通じないし、怪しく思われて応じてくれない(当然)。
…そこにまた通りかかる、バス停近くの小学校に通う子供達。
当然のように英語がペラペラである。
事情を説明すると、女の子が運転手を説得してくれる。この人は本当にお金が足りないだけで、騙そうとかしてはない!乗せてあげてよ!みたいな感じで…
で、(無論多めに)スウェーデンとボスニアのお金を渡して乗せてもらったんだけども…
これも本当に…今思うと(まあ当時も思ったけど)アホだし超迷惑…
よくこんなんで今まで大きな犯罪に巻き込まれず、怪我もせず、生きて帰ってこれたな…
ここで深くは書かないけど、別の時に行ったクロアチアではバス乗り間違えたのか全然違う町に行っちゃったんだよね。そこから正しい街に行くために現金必要だったからATM探そう…にもネットがなくて詰んでたら、その町の若者が(暇つぶしがてら)近くのATMがあるショッピングセンターまで案内してくれてさ…
本当に皆良い人…そして俺はよくそんな危機管理能力で生きてるな…
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