その違和感の正体
そろそろ、呼び名の非対称性の話をしたい。
弟が姉を呼ぶときは「お姉ちゃん」という呼び方があるのに対して、姉が弟を呼ぶときは「弟よ」とは一般的には呼ばない。名前で呼ぶことが多いはずだ。
育児に積極関与する父を「イクメン」という呼び方があるが、育児に積極関与する妻を「イクウーマン」とは呼ばない。
この一方的な呼び名に違和感を感じる。かもしれない。
「お姉ちゃん」に関して。
家族構成は妻、娘、息子なのだが、娘のことを「お姉ちゃん」とは呼ばずに名前で呼ぶようにしている。特に決めたわけではないが、「お姉ちゃんロールのまえに娘は娘自身なのだから名前で呼ぶ」というのが夫婦間の共通認識である。その結果、息子も姉である娘のことを娘の名前で呼ぶようになった。
僕としては、自分で望んでその役割になったのではなく状況的に「お姉ちゃん」になったわけで「お姉ちゃん」でいたいかどうかは本人が決めたらいいと感じる。
「イクメン」に関して。
これは自分が他の方から言っていただく言葉なのだが、これがむずがゆい。
褒め言葉として言っていただけるのはとてもありがたいのだが、すこし違和感を感じてしまう。
言葉にするのが難しいのだが、
「育児は母親がする」という普遍的な観念が根底にあるから?
家庭に関わることはわりと普通のことで、それを特別視するような表現だから?
育児にフルコミットできているわけではなく、育児に対してベストな状態ではないから?
などが違和感の正体だろうか。
そのウラ側には自分ができることしたいことで必要だと思うことをまわりと比べることなく突き進めばいいと考えている。
そのせいか「世の中的には普通こうやって呼ぶよね」「一般的にはこうだよね」という呼称に居心地の悪さを感じてしまうのかもしれない。
対となる呼称で非対称でもあるし、個人と社会のあいだ非対称でもある。
言葉について考え過ぎかもしれないが、まわりを気にせずアイデンティティマシマシで周囲の状況に無頓着でいる無意識過剰で生きていたいと深層心理で思っているのかもしれない。
なにとぞ。