30歳、隠居生活 その18 嫌気
IT担当となってからも、私の資料作成の仕事は続いた。
それどころか、所内で取り扱いのサービスの拡大に伴い、新たに部門が増えたり、
経理と連携して減税のための計算までしたりと忙しくなった。
まぁ忙しくなったと言っても、定時で収まる範囲の仕事であった。
この頃には私も要領を心得ており、指示のある前にむしろ先んじてやることを覚えていた。
例えば、新しいサービスを売り出すとなれば、契約周りの数字、売上と費用の数字、などは絶対に見たい。
こういった基本的な数字に関してはまとめろと言われる前から必要なのが分かっているため、
これはこの形でまとめ、これはこの形でまとめ、作業表はこうして、データの流れはこうこう、というように
部門などで各々で勝手をされる前に、私の方で形を整え部門の担当に売り込みに行った。
作業した時点で集計された数字を見れるようになるので、
向こうも所長向けの資料作成などに時間を使わなくて良くなり、私も当然楽で嬉しい。
そんな調子で、所長から数字が見たいと言われたときには、既に形が出来上がっており
「もうやっていたのか」と驚かれるくらいになった。
(そのうち、どうやら自分で言う前に勝手にされるのも気に入らぬようであったから、
既に作ってあったとしても、はい、了解しました。お作りいたします。とだけ言うようにしたが。)
減税のための計算表も、経理の方とくっついていつものように関数表を組むだけのことであり、
それぞれは簡単に済み、作ってからは新しく数字を入れた際の確認をするだけで良く、
別段の面倒もなかった。
そんな中で、大変手間で尚且つ面倒だったのは、所長指示による、もはや何の意味があるのかも分からない
表の見た目を修正するだけの指示であった。何度もその表を以て話し合いをしてきたのに、
数字が芳しくないと見るや、やれここの見た目を直せ、いややっぱり戻せ、新しい見た目の表を作れと
やたらと五月蝿い。何度別の形で見ても、数字は数字であって、変わるものではないのである。
私がものが分かっていない時に作った表でややセンスが悪かったり、時が経って注目するべき点が変わった場合などは、
なるほど確かに今はこの数字が大事であるから、より分かりやすくしてやろう、などと奮起して治すものであるが、
ただ本人が不安なばかりに、なんの意味もなく表を作り変えさせられるのは単純に苦痛であった。
また、経理の表などは、計算自体は分かっていても、経理としての意味合いが分かっておらぬ私に、
先生指示だけで経理を通さず勝手に編集することなどは、後でどんな問題があるかは知れぬ。
計算があっているかは分かるが、その計算をすること自体が合っているとは限らないのである。
こういう指示をされた際などは勿論、あとで経理に確認を取るなど裏の確認するが、そうすると今度見た時に所長が
勝手に数字が変わっているなどと怒り出すので、ガキの面倒を見ているかのようで甚だ癪に障った。
いっそ、何も考えずただ言われた通りにだけして、あとは知らんぷりを決め込んでやろうかと思ったが
そこは仕事に来ている人間として尊厳を持っていたので、私にはできなかったのである。
こうする間に、私の手の届く範囲は大分広くなっていた。
まず社内IT周りのことは一通り抑えていたし、先輩が元々手作業でやっている範囲を覗いた部分の数値管理は
私の作った表が席巻していた。契約、売上、コスト、採算など、一通りの数字がすぐに出し入れできる状態になっていたのである。
こうなると、まるで職場が家になったようなもので、必要なものには大体手が届く。
所長から指示があればパッとそれができるし、所員がパソコンで困ったとあればサッと行って対応ができる。
臨時の作業で人手が足りなそうな時は、所内の必要部署への連絡や所長への現状報告の作成など手伝いをしてやるなど、
手伝いなどの方が多くなっていった。
自分で言うのもなんだが、中々の働きぶりであり、所内での評判も悪くないようであった。
初めて就職をするとき、月並みではあるが、人の助けになりたいと思って仕事に臨んだ。
それが、かなり理想的な形で実現できるようになっていたと思う。
しかし、実際に実現して先に感じたことは、全く面白くない、であった。
正確に言えば、工夫がうまくいき、所員のために役に立てた部分に関して言えば楽しかった。
しかし、結局はただの賃金労働であり、気に入らない所長のご機嫌伺いをするだけの意味のない仕事を断れず、
給与は確かに少々上がったが、増えた気苦労の割に合うとは到底思えない金額であった。
そして何より、一日8時間、週に40時間の拘束は変わらないのである。
私は良く寝る質であったから、8時間はぐっすり寝ないと翌日は頭にモヤがかかったようになり嫌だった。
食事と入浴など脇の時間を含めれば平日に自由になる時間など2~3時間程度しかない。
まず生活があり、仕事はその生活のためのただの手段である。
ただの手段たる仕事に、そこまで時間を取られているのが耐えきれなくなっていた。
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