30歳、隠居生活 その21 それから
実は、退職をしてからもまだ事務所とは縁があった。週1で来ないかとオファーを受けていたのだ。
実際、仕事を絞れば私と先輩の業務なら週1でも足りる内容である。
私と先輩のうまい使い方のように思えた。
当初、1月末に現場を出て2月中には具体的にいつから週1で出るかの話があるかと思ったが、
待てども待てども話は来ず、結局、連絡があったのは5月に入ってからのことだった。
ある日、突然電話がなると、営業部長のおっちゃんからである。
相談事がしたい。と。
週1でお邪魔するだけの話だろうに、一体なんでそう重苦しい空気になっているのか気になったが、まずは話を聞いてみることにした。
条件で揉めて、先輩が来られなくなった。
所長は私とも揉めるんじゃないかと二の足を踏んでいる。
聞けば、退職時に週1の話が出たときと、給与等の条件が違っていることが原因で先輩と事務所で揉め事があったらしい。
それで、先輩は週1で来ないことが決まり、私への連絡も遅れていたと。
やはり完全に事務所、所長が悪い話ではないか。どこまで行っても変わらない人であるなぁ。
先輩と自分が退職すれば、引継ぎした業務はともかく、今後の数値周りでは中の誰かが苦労することが分かりきっていた。
その点のカバーをするべく、週1出社をするつもりであったから、先輩の件はともかく、その旨を素直に伝えた。
よし分かった、やはり先輩と私は違うな。と言っておっちゃんは事務所に話をつけてくれた。
こうして、古参の総務と連絡を取って週1の契約を結んで事務所に戻るのであるが、
確かに条件は引き下げられ、挙げ句に聞いていた通り先輩は戻ってこなかった。
週1勤務は、時給2000円、週4で月に64000円の収入になる。
これは、私の月の出費をやや下回ったが、収入としては十分であった。
しかし、先輩はついに姿を見せず、
先輩と二人、この人がいなくなったら事務所は終わりと相談していた古参の総務が退職し、
ついに事務所内に気のある人間がいなくなったことに疲れを見せた営業部長も退職し、
私の分身として業務を担ってくれていた社内IT担当も退職した。
最早、私が週1で行ったとして、なんらの意味もない状況となっていた。
従って、僅か4ヶ月程で週1仕事を辞する決断をし、9月末を持って完全に退職した。
こうして、僅か2年半余りの濃密な時間は終わりを告げた。
いくつか、事務所内の出来事で流れの都合で紹介できなかったエピソードなどご紹介しようと思う。
週1生活でも実りのあることは確かにあった。
数値管理部門の新入り君である。プログラムに造詣が深く、私と先輩がExcelで管理していたことを悉く自動化しようとしてくれた。
特に、数字を扱う機会の多かったマーケティング部門とは良く連携を取って一緒に作業をしていたようで楽しげであった。
こんなに元気のいい新人が入ってきてくれるなら、あと一年はフルタイム勤務を続けても良かったかなと思ったものである。
その彼も、私以外には誰もプログラミングを評価できる人間がいないので退屈だ、といい、一年足らずで彼の強みを活かせる場所へ転職していった。
良いことのように思う。
また、直接顧客対応をする部門の優秀な新人も退職してしまっていた。
彼は、進捗管理表など独自で作り上げるなど工夫を凝らし、他の新人の数倍、そして一部の先輩社員よりも仕事が早かった。
私にも関数のかなり深い部分の使い方など聞いてきて、一部作業の定型業務など一瞬で終わるようにしていたのである。
そんな彼が、退屈そうに本を読んでいたので話を聞いてみると、このように言う。
「もう今日やる分は終わったんでいいです。どうせ早く終わらせても、次の仕事振られるだけなんでこれ以上やる意味ないんですよね」
いや全くその通りで、会社の評価制度など大した意味もなく、早く仕事をすることになんのインセンティブもついていなかったので、
やらぬ方が正解になっていたのだった。その部門の管理者なども、全く彼に物申せぬようになっていた。事実彼の言う通りだったからである。
彼のような工夫を凝らせる人との会話は非常に楽しかった。
こういう人物こそ貴重であり、もっと輝ける場がほしいと思うのだが、
如何せん職場環境の方が病気に掛かっており、彼らのような優秀さへの適応障害の気があるのだから仕方がない。
人であれば問題があるから病院にいけと追い出すこともできるが、職場の方はどんなにひどくても病院にかかることはできないのである。
この辺に職場という存在のまずさが浮かんでいるように思った。
また、この話は勿論、私に都合のいい部分だけ抜き出して書いているもので、悪いことは書いていないのである。
懺悔ついでに書かせていただくが、全く私の至らぬ増長で先輩を怒らせてしまうことがあった。
私が各部門の関数表の作成に努めていた折である。社内IT担当も兼任していたので自分だけが大変いそがしいような気がしており、
この業務に関しては同じく能力のある先輩などもその気になって仕事をしてくれればどんなに楽か愚痴を多くこぼすようになっていた。
特に隠すようなこともしていなかったため、間もなく耳に入った先輩は気を悪くして本気で転職を急ぎ、寸でのところで止めて頂いた。
私も、先輩が思った道に進むのならば、引継ぎは思った以上に丁寧にして頂いていたしやむを得ぬと思っていた。
しかし、私と一緒にいるのが嫌で、とりあえず適当なところに行かれるというでは全く話が違うと思ったのである。
会議室を借り、お互いに思ったことを全て語り、誤解は解き、まずいと思ったところは全て正直に吐いて謝った。
また、私の転職経験と現場経験から、気をつけることなど、先輩のためにできる助言はこの機会に全てした。
多少人より仕事をしていると思い込んでいるにせよ、増長してはならぬと心に刻んだ一幕であった。
当時の手記など読み返していたが、やはり明らかに時給以上の働きぶりを見せていたハイパフォーマー達が、
却って有能なばかりに、こぞって所長から余計な仕事など振られ辞めていった例が多かった。残念でならない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?