30歳、隠居生活 その17  社内のIT業務を任される

個人営業、法人営業周りのデータも整ってきており、会議も減ったある日、所内で突然の退職者が出た。

朝に出社してすぐ、所長から突然私宛に電話があり、前任者が退職することになったからIT業務をやってよ、という話であった。

これには心底驚き、狼狽えた。

前任者は非常に好感の持てる担当であった。

専門の知識はないが、私含めた社内からも信頼厚く、外注業者とも関係性良く連携できている素晴らしいIT担当であった。

所長の秘書役で入ったが、半ば無理やりIT業務を担当させられてやることになったがめげずに頑張っていたらしい。

私もPC周りの不調などで相談したときは親身になって対応してくれ、大変助かっていた人物であった。

そんな方が急に退職することとなったらしい。

ここに来てようやくの説明となるが、私の居たこの事務所は業務は簡単、業績は良く、残業も全くないという

かなりのホワイト事務所である。しかし、退職者が多く出入りが多い理由が一点だけある。

所長が癖の強い人物であるからだった。

所長と喧嘩になるか、いつか絶対に喧嘩になると思って辞める人物が後を絶たないのである。

今回のIT担当の退職も、直接の喧嘩ではなかったが、それに起因する退職であった。

所内はIT関連には疎い人物が多く、また、私もデータ入力業務をしなければ、実は結構暇が多かった。

関数表は、一度作ってしまえば関数自体が仕事をしてくれるので私の手は空くのである。

曲りなりにもエンジニア経験があるのだし、退職した先でたった1人の社内エンジニアになるのも面白い。

ただ一つ、気になる点は、自分が担当している間に自分ではなんともならぬ大規模な障害などがあり、

所長から詰め腹を切らされたらどうしようかと本気で心配したが、別にそこまでの非道な話であれば、

再び退職届を出すまでのことと割り切り、逆に、自分のできる範囲ではなんでもやってやろうと腹を括った。

しかし、流石に話を聞かされた当初は、やはり不安でいっぱいであった。

顔からは元気も消え、営業部長のおっちゃんからも、「いつもの覇気がないぞ」などと声を掛けられる始末であった。

平素、努めて仕事場に顔を出すときは元気良くしようとしていたが、そんな余裕もなくなっていたのである。

しかし、人をしっかり見て、声掛けが必要そうな時にしっかり声掛けをしてくれるのが、

やはりこのおっちゃんであるなぁと少々元気が出てきた。

意外にも引継ぎ作業は割と順調に進んだ。前任者の出社時はピッタリとくっついて、やっていたことは全て吸収していった。

資料なども、向こうにその気がなくなっていたので、口頭でやっていた様子を聞き、こちらで内容をまとめ直していった。

会議室を借り切って、業務の話も業務外のこぼれ話も聞いて、珈琲を飲みながらのんびり資料作りをするのは中々楽しく、

前任者の方も「最近、Aさん(私の先輩)も以前より楽しそうにしているが理由が分かった」と、乗り気に対応してくれるようになった。

こんなに急ぎの引継ぎでなければ、私ももっと気が楽だったのだが。

また、幸運なことに、配線やサーバーなど外注している先の担当者は熟練の作業者であった。

実際には管理者クラスの知見と度量のある方なのだが、現場好きの方で、縁がある現場だからと、

明らかに業務の範疇を超えて手助けをしてくれている。

そして、前任者と相性が良かったらしく、楽しげに昔話などしている。

IT関連の知識もない人間であっても、担当者となったために自ら勉強して担当としての責務を果たそうと努力し、

そして実際、それを実現できている前任者の姿は私から見ても格好良かった。

外注で頼むだけだからと丸投げにすることもせず、自分のできる範囲のことはしっかり抑えてから頼み事の相談などしていたそうで、

向こうも仕事がやりやすかったのだろう、私もその様子は大変勉強になった。

外注先の担当との挨拶も済み、1週間程度の短い引継ぎが終わった。

改めて思ったことには、そして、前任者の働きぶりの良さと、

それを高々1500円未満で雇っている事務所の、もっというと経営者である所長の怠慢である。

こんな立派な方が退職になる理由を作った所長は泣いて反省するべし、と心の中で毒づいた。

少し話が逸れるが、実は優秀な人間の退職は、データ入力部門においても同じようなことがあったのだ。

私の好んでやっていたデータ入力業務であるが、仕組み作りをしてくれた有能なパートさんは私とほぼ入れ違いで退職していた。

その方の作ったシステムを、システム屋に外注して作ってもらうことになったのであるが、

何度も遅延を繰り返して、製作に時間がかかった上に、そのシステムの開発料金がなんと400万円超、

更には発注先の会社が潰れてしまい、後のサポートも禄に受けられぬと散々な有り様であった。

そのパートに金を払ってシステムの維持管理をして頂いたらどれだけ助かっていたか知れぬ。

これも、物の価値の分からぬ所長の問題故であることに疑いはなかった。

しかし、ボヤいていても始まらぬ。前任者が来なくなってからはやることはたくさんあった。

引継ぎで受けた情報を整理し、PCで使っているソフトや出元を確認し、

引継ぎで受けなかった情報に関しても、結局は所内で誰かが利用しているサービスなどであるのだから、

直に利用者に聞くなどして所内の関連情報や実際を手中に収めていった。

臨時に対応が必要になったときは兎も角、これらの作業は、一度にやると疲れてしまうしまうので、

せっかく私1人でやっているのだからと、一日8時間の中で2~3時間とか、

今日はPCのセキュリティソフトのライセンス期限の管理表だけ作る、とかかなりマイペースに進めていた。

また、一部、備品発注など総務の業務と被る部分については、総務で優秀なものがいたのを発見したので、

こちら頼めないかと願い出ると、快諾してくれた。向こうも、入って数ヶ月で社内IT担当にさせられた私を見兼ねてのことだったように思う。

所内の有能な人員についてまた覚えられた例であった。

そして、所員の方々にも大変助けられた。

詰まる所、IT関連の各種サービスを使っているのは所員であり、IT担当となった私よりも断然詳しい。

逆に私がそのツールの管理や、誰がどの業務で使っているかなど教えてもらい情報をまとめて行った。

特に、なんでもないようなPC不具合で呼ばれた折など、直接様子を見て対処など指示すると、まぁ大体はPCの再起動で治るのであるが、

向こうも気を良くして、IT関連の相談毎や情報提供などくれるようになり、ますます仕事はしやすくなっていった。

私が1人で担当していると言っても、結局は、所員と二人三脚なのであった。

業務自体も、一旦情報の整理さえ済んでしまえば早々毎日あることもなかった。

各種サービス周りの支払いの確認などは一度してしまえば済む話であったし、PC周りのトラブルも常に起こるものでもない。

新しい所員の出入りがあった際にシステムに登録したり、PCの初期設定が時折発生するくらいになっていた。

そうは言っても、52台分のPCの初期設定を2週間程度でやったときなどは、自信が専門の業者になったかのような気持ちであったが。

また、実際ネットワークトラブルがあった際も、肝を冷やしたが、

基本的には所内の影響範囲を確認し、外注先に連絡するだけの話であった。

それ以上のことはできないのであるし、個人の力を超える範囲のことでもあったから、割り切ってやっただけだった。

所員も、私が声を掛けて協力を仰ぐと、むしろ待ってましたと言わんばかりに協力してくださる。

これも普段から信頼を築けているからこその協力である、なんとも有り難かった。

私個人と、所内の件に関してはこのように問題なかったのであるが、一番堪えたのは新しいIT担当を迎えた時であった。

いない方が大分助かるという人間も世の中にはいるのだと肌で感じたことがあったので、これも紹介させて頂く。

私はあくまで新しい担当が来るまでの代理の位置であったので、

新しい担当者を迎え、引継ぎの話などをしているが、どうにも反応が鈍い。

こういうことをして欲しいと要求しても、暖簾に腕押しで全く分かっているかも分からない状態である。

明確にこれこれと頼んだことすらできておらず、逆に、全く間違えたことをするので私の手間が増えるばかり。

終いには、そのものにいくはずのPC周りの相談事なども、

全く話にならないので、やはり相変わらず私宛に相談に行くようにと告知まで出る部門もあった。

これではたまったものではない。

始めからいないものであれば、それならそれでいないものと思って対応するものを、

却っているものだから、安心と思って手を付けていないことまで問題になるのだ。

ハッキリ、居てもらわない方が助かった。

直接、契約の管理をしているものに直訴したわけでもないのだが、当然のこと、そのものは半年もいない内に馘首となった。

問題を解決しに来るべき人間自体が問題となっていた訳で、自然の結果であった。

一応半年近くはいたので、やった作業に関しては引継ぎをしてくれと言ったが、姿を一切表さず、

フォルダなど確認しても、この半年、一体何をしていたかまるで不明であった。

技術などなくてもできる仕事ではあるが、仕事自体をする気のないものにつける薬を私は持ち合わせていなかった。

この後、もう1人IT担当で採用したものもいたが、すぐに来なくなり、1ヶ月で完全に姿を消した。

すっかり私はIT担当も兼務することになり、担当となってから1年が過ぎようとしていた。

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