30歳、隠居生活 その14 同期と飲み会
私が転職を決めた頃、2度目の同期達との飲み会があった。
7人から5人に頭数が減っていたが、ここから更に2人減る話が酒の肴であった。
私の他に退職を決めたのは、同期でも一番仕事のできる男であった。
彼に転職に至った話をまとめると、
かなりガッツのいる仕事をこなしたが、全く給与の方に影響がなく、
転職活動でアピール材料として話をしたら、現在より大分高い給与を掲示された。
そこで、本社に掛け合って掲示された給与と同額に上げてくれと交渉したが、
要求額の一部しか認められなかったので、そのまま退職を申し出た。との話であった。
なんと強かな!給与交渉と転職の流れが完璧である。
他に転職先を見つけていたことで、会社側よりも遥かに強い立場で給与交渉ができている。
そして断られても全く本人は困ることがない。転職をすればいいだけなのだから…。
頭が切れるというのはこういうことを言うのだろう。
私は、本社の役員の先輩から、仕事のできる同期を見つけてアドバイスでも受けてみろと言われ、
彼に連絡を取ったことがある。
卓球で汗を流したり、適当に一緒に食事を取るのも久々で楽しかったが、
そのときに受けた「仕事は自分が具体的に作業がイメージできるまで分解しろ」という助言は、今でも大事にしている。
しかし、そんなクレバーな彼であっても、飲み会に当たっては
仕切りに新環境の様子を口にしたりしていたので、やはり不安があったのだろうと思う。
同期たちも、前に退職した2人と違い、今回の我々はそれぞれ思う道も、それにあった転職先も決めての退職であったので、
概ね好意的に見送ってくれた。
退職周りでは色んな方への挨拶があった。会社自体への不満と、会社で働き、私に良くしてくれた方への感謝は同居する感情である。
まずは直接私を指導してくれた役員の先輩、そして岩手にわざわざ求人を出す決定をしてくれた社長、
色々と世話焼きをしてくれた総務、私が入れる職場を探してくれた営業の先輩、
などなど、直接顔を合わせて話した相手に限ってもお世話になった方とは意外に多いものである。
入社4年目も過ぎてこの有り様だったので、今思い出しても赤面する思いである。
大学で就職活動をしていた折、岩手県民の就活は交通費との戦いであった。現在ではリモートで面談なども多くなっているのだろうが、
当時は面接で呼ばれる度にとてつもない労力がかかった。複数回の選考の度に岩手から東京・神奈川まで赴き、
時間と交通費を掛けた挙げ句に最終面談で落とされたなど想像するだに恐ろしい自体であるが、珍しくもなかったのである。
そんな中、一度の選考で合否が出る上、交通費は新幹線代を会社でもってくれるなど、当時は貴重な求人であった。
本当に嬉しいことだったので、岩手の学生を代表して面接時にお礼を述べたことを、私の退職時にも社長が覚えていて下さったのは光栄であった。
この挨拶周りのときには、丁度残業もなく、転職活動も終えていたので活力が戻っており、
なんだか退職をするのに元気そうだね、なんて言われたりしていた。その通りである。
今働いている会社を辞めるなど、飯が食えなくなるので、この世の終わりと同じと思っていた私であったが、
ここで働くばかりが社会ではないと思い直し、実際に動いてみれば大した事のないもので、
転職活動期間は実際に動き始めてからは半年程度で転職先も見つけ、退職の運びとなったのである。
広く世間を見渡せば、退職者が出るなど当たり前にあることで、先人達が多く通ってきたところには道があるのである。
自分のことしか見えていないとそんな簡単なことにも気づかないのであるからお笑い草である。
全く私は世間の狭い人間でった。今でも大体そうである。
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