30歳、隠居生活 その16 数値管理

入社後、少ししてから気付くのであるが、私の配属部門はデータ部門でなく数値管理部門であった。

データ入力を数ヶ月ずっと行っていたので、すっかり失念していたのであるが、資料作成の仕事もあったのだ。

実はこの時、退職を決意した1人の先輩の引継ぎ役として私は採用されたのである。

ようやく気付いたのは、何度か先輩と同じく所長先生との会議に呼ばれてからだった。

契約件数、売上、営業の訪問件数、成約率など、仕事に関する数字は無数に出てくる。

数理管理は、そういった数字をまとめ、資料にして所長に提供する、そういう仕事であった。

更に、直接会議に出て資料に基づいて説明をするところまでが数値管理部門の仕事であった。

まぁ部門などと言っても、年も1つしか違わない先輩と2人だけなのだが。

その会社の文化によって、会議の様子は大分異なる。

初めて入る会議など、同じ日本語でも何の話をしているかは全く分からないものである。

ましてや、業務の内容を全然知らない新人に、全てを知る所長と、

全ての数字をまとめる数値管理の先輩の話を理解しろなどかなり難しい話であろう。

私も慣れるまでは大変苦心したものである。

困惑する私に、先輩は懇切丁寧に事務所で使われる用語や数値の扱いなど説明をしてくれた。

私も、これは外せぬ仕事と思い積極的に興味を持って聞き、また足りないことは些細なことであっても分かるまで質問した。

初めて、自分の作った資料を所長に見せたときの緊張は忘れない。

資料について、聞かれたらすぐに答えようとばかりにガチガチに緊張しながら身構えていたら、

所長はふんふんふん、なるほど、すごい頭スッキリしたじゃん、これで行こうよ。と大きな声で宣言をし、そこで会議は終わった。

私は一言も発声することなく、資料だけで話が終わってしまったのである。

所長は話好きで、逆に一方的に話されるのを嫌う方だったため、きちんと見ただけで満足できる資料を作れたという意味では

100点の内容であったのだが、それにしても一言も喋れずに会議が終わってしまったのには参った。

先輩と、会議の度に反省会など開いてアドバイスをもらったものである。

おかげで、次第に要領も分かりコツや今の課題なども掴めてきた。

最初に分かった課題としては、飛込で個人宅にかけている営業(以下、個人営業)に関しての数値が集まりにくく、

また管理表の管理も煩雑になっていることであった。

営業内勤で雇っている二人のパートさんがこれに当たっていたのだが、なかなか所長の思うようにまとまった形で

数値が確認できない、できたとしても遅い問題があったので、これをなんとかするように会議で課題があがったのである。

会議で叱責を受けるパートを相手に、先輩が決めた態度は無関心であった。

どうやら、既に先輩が持っている契約の数字管理に関しては兎も角、

それ以外の個人営業の数値に管理など全くするつもりがなかったらしい。

自分にも、契約以外の話に関しては仕事には関わるなというのが口癖であった。

なるほど、ここに問題があるようだと感じた私は、先輩が契約周りの数値管理を担っているなら、

せっかく私がいるのだし、よし、ここを自分の仕事にしてみようと、関わることを決めた。

先輩には、どうせ状況が悪くなってきたら所長指示でこちらで受け持つように言われるのだから、

あまりひどくならない内にこちらで頂きましょう。私が基本受けますので、先輩は確認だけお願いいたします。

と含めておいた。実際にはみ出た部分が既にこちらにまわっていたので、先輩も頷くしかなかった。

かなり煩雑で無駄の多いデータの流れになっており、凝り固まって今からでは手が付けられない部分も多かったが、

ここではかなり貴重な経験ができた。初めて本格的な関数表を組んだのである。

先輩からExcelの関数周りの主要な使い方について聞けたのも幸いで、自分1人で調べるよりもずっと早く組むことができた。

さぱっとした見た目で、以前の手集計の課題であった集計期間や地域を、動的に変えられるような表が出来上がった。

結果はまず良しと言ったところで、所長も気に入ってくれ、パートの方々の負担も減ることとなった。

既に所内の知識も関数表の経験もある先輩にその気があれば、ものの数時間で出来上がっていたのだろうなぁと

思うこともあったが、その気がなければ仕方ない。ものは誰かがやらなければ形にはならないのである。

数値管理として、私の初めての仕事であった。

その内、堂々とした風体の営業部長が新たに採用された。聞けば、大手ビール会社の営業部長だったという。

かといって偉ぶるでもなく、思わずついていってしまいたくなる背中と本物のリーダーシップを兼ね備えたおっちゃんである。

私はすぐにそのおっちゃんが大好きになった。

そんなリーダーシップとお腹周りの溢れるおっちゃんの登場により、

個人営業の他に、法人にも新たに営業をかけようという計画が持ち上がった。

そうなれば、採算管理するべき営業マンも増えるのであるし、訪問先のリストの管理も出てくる。

テレアポチームが架電をし、営業との面談を行って契約にいたるまで、そしてその売上までの数値が出てくるだろうし、

それらの数値を管理して資料化する必要が出てくるのは必然であった。仕事の時間である。

流石の先輩も、会議の頻度と所長の熱の入れようから、今回は逃げられないと悟ったようである。

腹を決めて訪問先不動産リストのデータの形を設計をしてくれた。

私も手腕に惚れ惚れしながら一緒に確認などさせてもらい、おっちゃんとも相談しながら楽しく作業していたのである。

当然ながら、法人営業が始まった頃は忙しかった。

人が増え一気に費用が嵩んだことで、所長もかなり神経質になり、会議に呼ばれる回数が増えた。

しきりにあの数字はどうだ、ここはどうなっている、分かる資料を作れと言ってくる。

当初の想定よりも、大分細かいところまで数値を見たいと言ってくるので、

こちらも言われるままに資料など作っていたがどうにも部分しか分からず、会議は荒れるばかりとなった。

自分を表作成の担当者とだけ思っていれば、注文のあった表を作るだけ作って終わりである。

しかし、責任は果たしても、それで問題が解決するかは別の問題である。

その時見たい数字ではなく、見る必要のある数字を見れるようにしなければならない。

自分が経営者であったら、どのような表があれば判断を下せるか。視点を変えて考えた。

ピンと閃くところがあった。架電から契約まで一貫して流れの見える表が欲しい。

個別の数字ではなく、実際の業務フロー通りの流れで見れる一貫した表が必要だと判断した。

表を作るのは存外に簡単であった。作りが頭の中にイメージできてしまえば、あとはExcel上だけでできる作業である。

むしろ苦心したのは、各部門が負担なく毎日この表を更新できるようにする仕組みであり、

各部門の各担当者の具体作業の聞き込みを行い、更新法を誰でもできる形で考えていったのである。

ここでは、先輩の設計した不動産リストの形が大変役に立った。

元の形が良く、綺麗にデータを収められていたため無駄に加工したり修正したりする必要なく、一貫表にデータを落とし込めた。

一貫表については、こんな表がまさに欲しかった、と声を大にして言って頂けて大満足であった。

口に出して言ってしまえば簡単なのであるが、会議を重ね、議論を尽くしたメンバーでも、私が表を作って見せる前に、

この表が欲しいとイメージできた者はいなかったようだ。コロンブスの卵と言ったところであろうか。

これ以降は、法人営業会議においてはこの一貫表が話の土台で、これを元に話を行う流れができあがっており、

明らかに見当違いの資料作りや、数値の集計の依頼がピタッと止んだのである。

顧客が求めていた本当の問題解決が実現できたケースであった。

特に営業部長のおっちゃんからは大変褒められ、いやぁこれは俺が決められるんだったら賞与を出しても良い、

とまで言って労って頂いた。ただのExcelの関数表一つでここまで褒められた人間はいるまい。

今思い出しても嬉しい話なので、存分に自慢させて頂く。

また、今回の話は、後に先輩とする、リーダーシップの話のいい種となった。

つまり、自分が嫌で状況に流された結果、個人営業については数値管理がしにくい状態となっており

最終的に個人営業の内勤のパートさんも疲れ果て、こちらにお鉢が周り自分たちも苦しくなった事態と、

腹を括って状況に流されず、自ら動いた法人営業においては、担当者も楽な仕組みで仕事ができるため苦労せず、

こちらの数理管理においても、最終的にはほぼ手放しでこちらに欲しい数字が上がってくるので楽になった事態が、

ピッタリ対比の構造になっており、率先して行動し、自分がそれをやるということで出てくる価値があるという良い勉強となったのである。

更に、まさにリーダーシップの体現である営業部長のおっちゃんの存在も大きく、割を食ってもまず自分がやるという気質の人であったから、

私と先輩も安心して仕事を手伝いやすく、私達以外のたくさんの人もまたおっちゃんの周りで動いていた。

組織を率いて大きな物事を成し遂げるのはこういう人なのだな、と本当に歓心したものである。誠立派な姿であった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?