ほっとけ!

久しぶりに更新する文章。
「大事にしていたバンドはもう終わってしまったから、もう誰に見られていたって、見られ
ていなくたっていい」みたいな文章を書こうとして、本当に大事だったことにようやく気付
く。そんなことの繰り返しばかり。

Twitter を辞めた。いつのことだったかもう忘れてしまったけれど、アカウントを消した。
自分でも驚くぐらいあっさりと辞めてしまった。最初に Twitter から離れるきっかけは、バ
ンドを辞めた時だった。そもそもぼくは世間を騒がしているニュースだとか、そんなことに
全く興味が持てなくなってきていて、Twitter で見えるニュースなんて誰かの悪いところ
だとか汚い話だとか、見ていて気持ちの良くないものばかり。もっと「パンダの赤ちゃんが
生まれました」みたいなニュースばっかりだったら、今でも楽しく Twitter を見ていたかも
しれない!!なんてね。

それをなんとなくで見てしまう自分にも嫌気がさしていたの。なんとなく、人の嫌なところ
を見て、なんとなく、「嫌なことばかりだ」と思ってしまう自分。自傷行為みたいだと思っ
た。自分を大事にする、なんて言葉で言う事は簡単だけれど、実際に行動にするときにどう
したら良いか考えた結果、Twitter を辞めよう、と思った。

でもね、しばらく辞めた時、なんだか少し戻っても良いかな、なんて気分になっていたの。
ぼくがもともと好きだった SNS は、好きな時に面白くもなんともない好きなことが言えて、
それにツッコんだりツッコまれたりして友達と仲を深めていくようなものだった。しばら
く情報から離れてみたときに、もしかして今、これだけ情報から浮くことができているのな
らば、好きなことを言うくらいはできるんじゃない?!と。友達と仲を深めていく、みたい
なことはもう難しいツールになってしまったとしても、自分が好きなことをするくらい
は!なんて少し思っていた。

でもね、ダメだった!もう SNS というものは昔と姿を変えてしまっていて、簡単に誰かを
傷つけてしまうとが当たり前のものになっていた。だから好きなことを言うなんて論外!
何をするにしても相手の姿を想像しなければいけない。今の社会通念からすれば当たり前
なのかもしれないけれど、昔はそうじゃなかったんだぜ。 「昔は良かった」的なことを言う
ジジイに近づいてしまっているな…


多様性を受け入れろ、なんて世間は軽々しく言うけれど、無理だよ。ぼくらにできることは、
受け入れるんじゃなくて、放っておくこと。ぼくときみとは違う。だから、好きにやればい
い。それの最低限を決めたルールが法律で、法律を超えた先での受容、なんてものは限界が
ある。ぼくは、生まれついて色が見えない人から見た世界を、本当の意味で分かることは永
劫出来ない。性的思考で困っている人を受け入れられるか?これも好みでしかないよ。だか
ら、放っておけって言ってるの!もちろん当事者と、それに関わる人(仕事だったり、身内
だったり)はその人なりの視点があっていいと思うけれど。諦めじゃなくて、認めるという
前提を持った上で、色んな事を放っておこう。

まだなんとなく note には好きなことを言える場所が残っているような気がしている。こん
な長文を読むのは物好きだけだから。せっかくなので明るいニュースや明るい話が聞きた
いと思われるかもしれないな、とこの文章を書きながら思っていた。あ、そういえばこの前、
達に会ったときに「すごい病んでるんだと思ってた」みたいなことを言われた。
全部まとめて放っとけ!!(たまに構ってくれてすごく嬉しいよありがとう)
ゆったり楽しく生きてはいます。以上生存報告。

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