満月が少し通り過ぎて
冗談でも何でも本気にしてしまうぼくの性格は昔からで、「冗談通じない」とかそんなことをよく言われる。自分でもこんな性格に少しは慣れたから、誰かが何か嫌なことを言った時、「これは冗談だ!!気にしないのが一番だよ」なんてことを頭の中でつぶやく。それでも、少し前に話していたことが未だに少し心の中に残ってしまっている。今日はそんな棘を抜こう、という気持ちで文章を書いている。
ふつうに見えるように、生きる。人によっては簡単だし、人によっては難しいこと。ぼくにとって、「ふつうに生きる」というのは「きっとやれば簡単に出来るのだろうけれど、決してやりたいとは思えないこと」。こんな価値観の違いがそれぞれ道をすれ違う人にもあって。ぼくはその枠に当て嵌めれるともう我慢がならないような気持ちになってしまったりする。
文章を書いていることだって、誰かから見れば普通じゃない。ぼくの文体も痛々しいかもしれないし、夕日の美しさについてどれだけ語ったところで「自分に酔ってるよ」としか思わないような人々も大勢いる。でも、こうやって文章を書くことが誰かの救いになったり、自分と似た感性を持つ人間と「そうだよな!」なんて言い合うことができる。すごく閉じた世界にだけ向けたSNS、みたいなものができればいいのにね。閉じているけれど、開いている世界。そんなものは感性が違う人間がこの世に溢れているだけ、不可能なのだけれど。
日々を少しずつ過ごしていく中で、どう生きていくべきかを考えながら過ごしている。周りにいる人や出会った人たち一人一人をとっても大切にしたいし、棘を周りに振り撒くような生き方はしたくない。ネットニュースを開けば誰かを傷つける話か誰かが得をするような話ばかり。よく考えずに投資をやっている人に対して、「あなたが得した分、誰かが損している世界に夢中になって、それで何に繋がるの?」なんてことを言っても!理解されないことばかりです。それは、もう離れることにしたの。自分が得することより、大事な人を幸せにする為に何が出来るかを考える。効率的に考えれば確かにぼくは間違っている。でも、そんなことばかり考える生き方をしていたくない。
誰がどう生きようと勝手です!ぼくから離れていくのも勝手だし、好きにしてもらっていい。でも、だからこそ、ぼくは人にこだわるよ。誰かが諦めたことを諦めないし、見捨てられても見捨てたくはない。
なんてことを久しぶりに月を見ながら考えたのでした。エレファントカシマシを聴きながら。