ネトスト賛否論

2022/05/14

昨日、こんなnoteを見つけた。

この動画、ぼくも何回も見直していて、すごく好きな動画だ。コピーバンドだって侮るなかれ。良い曲とそれが好きだという熱量で人を感動させることは、コピーバンドもオリジナルバンドも変わらない。そんな人が、結婚したという記事を見て、ぼくは「良すぎる」なんてツイートした。朝になって、Twitterを見たら、「ネトスト」なんて言葉がトレンドに入っていて、批判的な言葉が多くため息をついてしまった。「結局美人だったから良かっただけ」とか、「行動が気持ち悪い」とか。

まあ、「自分をどの立場に置くか」で思うことが変わるのだろうから、誰を批判するつもりもない。もちろん自分がネットストーカーをされて迷惑をかけられまくっている当事者だったりしたらこんな肯定的な目線では見られないとも思うし。でも、ぼくはこの記事を「自分もネットストーカーの素質がある人間」という立場から読んでいる。そういう立場の人から言わせれば、この記事は最悪であり最高なのだ。

ぼくは、ネットストーカーの気質がある。好きな人のSNSのアカウントが一つ分かると、そこからアカウント名などを辿って他のSNSのアカウントを見つけ出したりする。以前、数年前にお付き合いしていた人の裏アカウントみたいなものを見つけ、わざわざ新規でアカウントを作って自分だとバレないようにフォローしに行ったこともあった。あの時の行動は今思い出しても最悪。気持ち悪すぎるし、そういう人間が知り合いにいたら友達に格上げは絶対にしたくない。

ネトスト、なんて笑い気味に書いているけれど、「こんな気持ちの悪い行為はやめたい」と本当は思っている人が沢山いるのではないだろうか。SNSが発展して、多くの人がインターネット上に情報を晒している時代になった。知的好奇心は止まるところを知らず、「ああ、自分はこの人のこんなところを知っている」という優越感の虜になってしまう人。でも、それは真にその人を知っていることではなく、自分の精神世界を全く飛び出していない、「知った気になっているだけ」のこと。だから、どこまでいってもむなしいし、意味がないからやめたいと思うのだ。

でも、これが救われる方法がある。相手に自分を認知してもらって、「知りたい」と思ってもらうこと。そして、「知って欲しい」と思ってもらうことだ。ただ自分が相手のことを知りたいというだけのむなしい自己完結した世界が、相手からの受容で一気に拓かれる。双方的なコミュニケーションに変化することで、「あなたのことをこれだけ知っている」という要素は一気にマイナスからプラスへと変わる。「知っていることが気持ちが悪い」から、「知ってもらえて嬉しい」に変わる。

この人は、自らの力で完結した世界を脱出したのだ。ネトストは「最悪」だと思う。誰にとっても得がない。加害者も被害者も得がない、それでもやってしまうむなしい行為だと思う。でも、相手が自分を認知して、そしてハッピーエンドに向かうというのは、こんなむなしい地獄からの一番幸せな脱却方法なのではないだろうか?

「この記事を読んで、嫌なネトストが加速しそう」なんて意見もあったが、どうかそうなりませんように。できれば多くの人が、それをコミュニケーションにして、幸せになっていけますように。アタックして、拒否されたら、ネトストを加速させるのではなく、そこでスパッと切り替えられますように。そんなことを考えながら今日も知人のストーリーをくまなくチェックするのだ。人間ってーのは、まったくどうしようもねえな!

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