【ベトナム旅行記】ホーチミン篇~その③~東洋のパリから~
はじめに
これまで、ベトナム戦争のハードな内容を話したので、
これまで通り、ソフトな話題に戻そう。
旅行の後半はホーチミンシティに宿泊。
ベトナム南部の大都市で、人口は今や900万人近くいる。
もともとこの街はサイゴンという地名であったが、
ベトナム建国の英雄であるホーチミン元国家主席にちなんで
1978年にホーチミンに改名された。
しかし、ホーチミン元国家主席と区別するために、
「ホーチミンシティ」と言う人も多い。
そんな、ホーチミンシティの観光スポット、
旅行中のエピソードを紹介しよう。
統一会堂
ホーチミンシティの中心にあり、街のシンボルとも言うべき建物。
ここには、フランス領インドシナ時代の1873年から宮殿が建てられ、
フランスのコーチシナ総督はここで政務を執っていた。
1966年に建て替えられた後は、南ベトナムの大統領が大統領府・官邸として使用していた。内部はその頃から変わっておらず、大統領の執務室や講堂、応接室などがそのまま残っていた。
また、地下は500キロの爆弾破壊にも耐えられる構造になっていた。
ベトナム戦争中は大統領がここから司令を出し、
アメリカとも通信を行っていた。
1975年4月30日、ここに北ベトナムの戦車が突入し、
ベトナム戦争は終結。
戦争が終わる瞬間として、全世界に中継された。
屋外には、その時突入した戦車のレプリカが展示されてあった。
(本物はハノイのベトナム軍事歴史博物館にあるそうだ。)
屋上にはヘリポートもあったが、
そこから、私はなんだか奇跡の1枚が撮れてしまった。
おわかりいただけるだろうか?
噴水の下あたりに、軍服姿の男と、アオザイ姿の女性が向かい合っていた。
それが、私にはプロポーズしているように見えてしまったのである。
※念のため断っておくが、意図して撮影していない。
・戦争証跡博物館
前回、前々回の記事をご覧ください。
サイゴン・スカイデッキ
ホーチミンシティの歩行者天国である、グエンフエ通りの近くにある、
「ビテクスコ・フィナンシャル・タワー」
このビルの49階、地上178mからはホーチミンの街を一望できる。
ちなみに展望台の望遠鏡はタダで使用できる。
展望台にはアオザイに関する展示もあった。
時代によって、デザインや、裾の長さが違っていたのも興味深い。
さらには、世界中のユニークなビルを紹介した展示もあった。
ただ、正直、選定基準が分からなくて、困惑気味に眺めていた。
・ホーチミン高島屋
何と、日本から遠く離れたホーチミンシティにも高島屋が出店している。
私が北海道に住んでいるとき、ドライブ途中に寄ったラーメン屋「梅光軒」やシャトレーゼ、源吉兆庵などがあり、もはやこの中は日本であった。
・ベンタイン市場
→ホテルからすぐ近いところにあった市場。
青果、コーヒーなどの食料品や土産物、衣類などが売っていた。
日本人の私に日本語で声をかける人もいた
しかし、私は最終日、ここで
声をかけられる→話を聞く→商品眺める→値切られる
→現金ないから、どうしよう→結局、店から逃げる
の動きを繰り返し、おそらく市場の人の恨みを買ってしまった。
その後、空港に着くまで罪悪感に苛まれてました
ほとぼりが冷めるまでここには行かないでおこう。
・サイゴン・キッチュ
→念のため書いておくが、タレントの松尾貴史さんの旧芸名ではない。
ホーチミンシティの有名な雑貨屋の一つである。
日本語にも対応してくれていて、個人的にはフルーツ柄のエコバッグが
気に入った。(おかんにプレゼントしました)
・夜の街
先程、名前を挙げたグエンフエ通りは夜になると多くの人々が集まり、突発的に音楽ライブやマジックなどが行われていた。まさに活気に溢れた場所であった。
しかし、最も印象的な場所は、ホーチミン市人民委員会庁舎であった。
そのライトアップされた姿はホーチミン元国家主席の銅像、蓮の花の噴水とともに、美しい景色を作り出していた。
その他
こんな感じでホーチミンシティを満喫していた。
観光するところも買い物するところも多く、行く場所には困らなかったし、
ここでベトナム戦争があったとは思えないほどの発展具合だった。
ただ、バイクが多く、移動はやや苦労したが、
ここ数年のうちに地下鉄が開業するそうで、
個人的にはかなり楽しみである。
一人反省会
さて、今回の旅行で良かったところ、悪かったところを反省しよう。
(良かったところ)
・東南アジアで使える配車アプリの「grab」を利用しまくったこと。
→教えてくれた方、本当にありがとうございます。助かりました。
しかもバイクは100円以内で乗せてくれるので、お財布にも優しいです。
・安易に日本食に逃げなかったところ
→先述の梅光軒や、丸亀製麺、すき家などたくさんありましたが、最後まで
手を出さずに、ベトナム料理を満喫できました。
・無印良品のリュックサックを使用したこと
→noteで見た、海外旅行によく行ってらっしゃるクリエイターさんの
投稿から購入を決めた。使用してみると、かなり自分にふぃっといた
・空港⇔ホテルの移動はタクシーを利用したこと
→チェックイン直前に飛行機に乗っていたため、空港に着いたらそのまま ホテルに直行して荷物を置くことに決めていた。
因みにこのときはgrabではなく、booking.comで予約した際のオプションを利用した。確実に乗れるし、場所も大体決めてくれるから。
(悪かったところ)
・東京⇔ホーチミンシティの航空券とホーチミンシティ⇔ダナンの航空券を別々に取ってしまったところ。
→行きの成田空港でのチェックイン時に確認された。確認に5分くらい時間を 取らせてしまったが、ホーチミンシティでトランジットする際に1度預けた荷物を回収し、国内線の搭乗時に再度預けることで事なきを得た。
・キャリーケースの鍵が壊れたこと。
→鍵がかからなくなってしまったため、かなりの痛手である。
しかし、もう4年ほど使用していて、サイズも下の図だと、Mだったため、
もともと、長期で海外旅行するには心許なかった。
LかLLに買い換えるには丁度良い時期と告げてくれたかもしれない。
・現金をあまり持って行かなかったところ。
→ホーチミンシティのホテルにチェックインする際にほぼ全額使い切り、
残りはクレカだけで耐えた。おかげで請求が普段と比べて、
非常に高くなりましたが・・・
ただ、博物館などは現金のみのところが多く、最終日、ホーチミンシティ
の歴史博物館に入ろうとしたら、現金だけと言われ、あえなく玉砕した。
・この更新が遅いところ
→反省してます。
・一人旅の限界を感じたところ
→大学生以降、直近の旅行は全て一人旅である。
自由に行程を組め、柔軟性が高いのは良いところだが、
話し相手が皆無で、旅行後に自分の写真がないのが辛い。
また、今回、海やプールに行ったので、その間に
貴重品を見てくれる人がいない点もデメリットに感じた。
正直、孤独を感じたので、いつか誰かと旅行したいと願っている。
まとめ
この最後の投稿を書き上げたのが、帰国してからだいたい20日後と、
安定した遅筆ぶりを発揮してしまった。
ただ、裏を返せばまとめられないくらい、
大きなインパクトや思い出となったのが、今回のベトナム旅行である。
ずっとヨーロッパ方面に目が行っていた自分が、
社会人になり、身の丈に合った選択を心がけ、
限られた時間で行けるように支度した今回の旅行。
行く前に書いたnoteには
ずっと公共交通機関を利用した私が、
バイク社会に溶け込めるか、
テーマにして投稿していたが、
問題なく順応できていた。
それもこれも、現代社会に溢れる数々の情報、
ベトナムに行ったときの話を教えてくれた友人のおかげである。
色々な情報を提供してくれた皆様、
本当にありがとうございました。
私はスリや事故に遭わず、無事帰ってくる事が出来ました。
結局、私は海外旅行が好きなのだろう、
お金も時間もかかるし、言葉の壁だってある。
でも、普段の生活とは何もかもが違う場所に入り、
その雰囲気や文化を体感すること。
そんな時間が格別だって改めて思えた。
また、ベトナムに行きたい、今度はホーチミンシティの周りの地域や
フエやハノイ、ハイフォン。
願わくば、半年から1年くらい滞在してみたい。
そういう意味でも、場所を選ばない仕事が出来ればいいな
と思っている今日この頃である。
そして、このnoteを通じて、海外に住んでいる人々、
海外旅行が好きな方と繋がりたいと思いました。
一度きりの人生を楽しく生きるためにも。
長々とベトナムのお話におつきあい
いただきありがとうございます。
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これにてベトナム旅行記、完!