想像していなかった未来
企画としてもあったので、現状を整理する目的としても有り難くしようさせていただこうとおもいます。
さて、ご笑覧いただけたら幸いですがわたくし30代に入るまでずっとフリーターをやっていました。
舞浜のテーマパークや池袋のネコの街、横浜のシュウマイで有名な店の喫茶店や占いの館の受付脱毛サロン水タバコ屋…真面目なところだと卒業した大学の研究員補助やドラえもん作者のミュージアムの事務補助などなど。スナックでお酒勧めていたこともありましたね。
これがですね、面白いほどに長続きしないんですよ。
毎日同じことやるのが辛くてつらくて。あと人が多い場所嫌いで?
そんな20代を過ごしていたら30代に入って突然就職したんです。
これが地獄の始まりだった
勤めたのは中央区にある某病院。
コロナが流行る1年前くらいに就職しました。この時だけはラッキーでしたね。今ではもう打ちたくありませんがコロナもインフルもワクチンは経費でタダで打ってくれる。
ただ病院という点でお察しなのですが、人間関係おもろいほどギスギスやってん複雑でしたね。
資格もなーんもないので看護助手というポジションで面接したところからそもそもおかしかったのですが、この頃から画家もしていたので週4の非常勤を希望していました。何度もそこは念押ししていたのですが、
「じゃあ常勤で採用ね」
じぶん日本語わからんねんな?
まあお金が手に入るなら多少の我慢は致しましょう…
そうしていたらやってきた看護助手リーダー。
どこの漫画から出てきたのかと思うほど絵に描いたようなプライドクソ高能面面お局。
わたしの経験上能面面は絶対に性格が悪いし自分の都合が悪いことは全て他人に押し付ける奴だったのでここでも予感的中のクソリーダーでわたしは毎日まぶたの痙攣が止まりませんでした。
それでもうまく勤めてはいたいので能面のご機嫌を伺いながら仕事をしていたのですが、
いつからか仕事が御機嫌取りになってるんですよね。
そんな中コロナで自宅謹慎となったり医院長が退職され新しい医院長がきたりと色々あり。
またどういうわけかその医院長に気に入られてことあるごとにうちの息子どう?今度飲みに行かない?の嵐。
能面がそれに対してまたネチネチと主任に言いつけ主任は能面のヒステリーをわかってるから大丈夫なん?と逆に心配され…しょぼくれないわたしに対してまた能面がヒスってわたしの陰口そしてわたしの前では他人の陰口…
いやほんとなんで?と思いつつ毎日殺意の波動で瞼を痙攣させながら勤めて今年2024年
ついに転機がやってきました。
let's 異動
わたしはやってやったぜ。部署異動を。
受付事務に異動してやったぜ。
しかしここからわたしがおかしくなってしまったのでした。
マニュアルのない受付、何も教えてくれない先輩、言葉遣いの荒い主任、疑問に答えてくれない上司、病気治しにきてるんだかしゃべりにきてるんだかわからない患者。
日に日に憔悴と仕事に行きたくない鬱気分、そしてついには会話が噛み合わず電話の取次ができなくなるという語学障害が出て心療内科にかかったところ実はADHDだというこが判明したのです。
速攻で検査結果と診断書持って次の日から休みました。3ヶ月は動けませんでした。薬飲んで転がって、唯一の心の救いは続けていた絵を描くことだけでした。
そして思いました。
クソみてぇな会社に戻るなら
好きなことやれるだけやって
健康に生きたらぁ
そしてもりもりと絵を描き会社に退職届を叩きつけ大嫌いな上司と主任にわたしの荷物整理をさせて一切会社に行かず残っていた有給も取り退職しました。
世に言う傷病手当をもらいながら細々と絵を描き蔵しています。
なんだかんだで行動範囲も増えてチャレンジ精神も溢れてきたのか、個展や展覧会、グループ展など絵の活動をもりもり行い元気にやっています。
この傷病手当、世の中の退職したい方を狙っていろんな商法をされている方がいるのですが、そんな大枚叩いて手続きしてもらったり退職代行に頼んで菓子折り持って行ってもらったりそんなことする必要全くないんですよって言うこともうまくまとめられたら発信したいと思いますが、
まあなんだかんだで趣味の延長で描いていたものが会社グッバイしてから本業として成り立っていくとは思っていませんでしたと言うお話でした。
傷病手当で困っていたらいつでも聞いてね。
お金なんかかけなくてもちゃんと手続きできるから。
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