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【岩田温大學】中国人権弾圧クロニクル

共産主義というウイルス 一億人を超える犠牲者

 中共(中華人民共和国。以下中共)とは、スターリンの支配するソ連、ヒトラーの支配するナチス・ドイツと全く同じ範疇に入る忌むべき全体主義体制の「悪の帝国」であり、究極的には打倒されるべきものである。この認識が、殊の外日本人には希薄であるように思われてならない。

 共産主義とは二十世紀、全世界に撒き散らされる超悪性のウイルスともいうことができる。このウイルスによる犠牲者は、両世界大戦の死者の合計数六千万人をはるかに上回る一億人にも達する。犠牲者が最も多いのは中共であり、その数は推定で六千五百万人に及ぶ(ステファヌ・クルトワ他『共産主義黒書』恵雅堂出版)。

 毛沢東の「大躍進政策」の失敗による全土に及んだ飢餓は、その最も悲惨な事例である。大躍進政策とは、その掲げられたスローガンによれば「三年間の努力と欠乏、千年間の幸福」を与えるものだった。

 だが、その実態は未曾有の大飢饉を招聘し、国民を塗炭の苦しみへと追いやるものだった。無知に基づく共産党の指導により、生産力は激減したが、名目上は生産高が増加したと発表された。党、すなわち毛沢東の指導の下に、農業を行った結果、生産力が減るという事態はあってはならなかったのだ。名目上の生産高に対して税金がとられるため、国民はほとんどの農作物を口にすることができなかった。『共産主義黒書』はその被害をまとめている。

「国全体についていえば、死亡率は一九五七年の一・一%から一九五九年と一九六一年には一・五%に、特に一九六〇年には二・九%にまで跳ね上がった。出生率は一九五七年の三三%から一九六一年の一・八%にまで落ちた。(中略)飢饉による高死亡率に関連する損失数は、一九五九年から一九六一年の間に、二千万(一九八八年以降の中国における公式に近い数字)から四千三百万人と推定できる」(クルトワ 前掲書)

 また、毛沢東に対してわずかでも反対する者は許さないという文化大革命も見逃すわけにはいかない。虐殺の嵐が大陸で吹き荒れた。その被害者数は正確には把握されていないが、各種の推計では数百万人から、多いもので数千万人に及ぶ。

 大陸全土で吹き荒れた文革(文化大革命)の嵐。また、近年における自国民に対する非情な弾圧の象徴といえる天安門事件。そして今なお続けられている宗教「法輪功」の信者に対する弾圧。中共は数えきれない悲劇を引き起こしてきたその張本人である。

 そしてこうした悲劇は決して中共内部のみで起きた事件ではない。中共の飽くなき侵略によって、今なお罪なき外国人までもが弾圧されているのだ。

 本稿は中共の侵略の歴史の一端と、その侵略を支えるイデオロギーである中華思想を剔抉することを目的としたものである。

チベットの併合 人権弾圧と文化破壊

 まず、中共の侵略によって、その文化が灰燼に帰せられ、独立国たりえなくされたチベットの例を取り上げよう。

 国共内戦を制した毛沢東は、一九四九年十月に「中華人民共和国」の建設を世界に布告し、次いでチベットを「帝国主義者」から解放するために人民軍を派遣することを発表した。もちろん当時のチベットは「帝国主義」勢力の支配下にあったわけではなく、近代化されてはいないものの、事実上全くの独立国であった。一九五〇年三月、チベット国内に中共軍が侵入した。当初、中共軍の兵士たちは以前チベットの地を訪れた国民党の軍隊と比べると極めて紳士的であった。国民党軍と違い、中共軍は略奪や脅迫をせず、チベットの人々に対して好意的であったのだ。人々が中共軍に対して淡い期待を抱いている間、中共の後続部隊は陸続とチベットに到着していた。

 そして、束の間の平和が破れた。すなわち一九五〇年十月、中共はチベット政府と交渉中であったにもかかわらず、軍事力をもってチベットを制圧する挙に出たのだ。チベット人たちは激しく抵抗したものの、彼我の軍事力の格差は埋めがたく、瞬く間にチベット軍は敗れた。チベットは国連に調停を申請するものの、国連での討議は延長され、目的を達することがかなわなかった。世界の目は、一九五〇年六月二十五日に開始された朝鮮戦争に釘付けとなっており、チベット問題に注意が払われることがなかったのだ。

 謀略に長けた毛沢東は翌年「チベ ットの平和解放に関する十七ヶ条協定」をチベット政府に無理やり調印させた。その協定では、チベットの主権は認められず、中共内部の一民族としての地位が認められたに過ぎなかった。表面上、信仰と風俗習慣の尊重が確認されたが、それは決して守られない空手形に過ぎなかった。

 ダライ・ラマは後にこう語っている。

「私たちは、名誉ある条約を締結しようという望みを抱いて、北京に代表団を送ったが、主権を放棄するための協定に無理やり署名を強要された。わが政府は、この強制された協定を絶対に批准しようとはしなかったけれども、もし、それを拒否すれば、より以上の流血と破壊が避けられないことは、私たちのすべてに明らかだった。
わが国民を、一層ひどい災難から救うために、私とわが政府は、不法極まりない協定であっても、それを忠実に守ろうと努めた。にもかかわ らず、中国は、その協定で誓った約束を、ことごとく破ったのである。」(ダライ・ラマ『チベットわが祖国』中公文庫 二三頁)

 国家主権を簒奪されたチベットでは、以後様々な悲劇が引き起こされる。中共の支配の真意を見抜いたカンパ族は反乱を起こしたが、これに対して中共は大虐殺と、徹底的な文化の破壊をもって応えたのである。

 チベット国内の同胞意識、人々の紐帯を破壊するために中共が採用した残虐な方法に「タムジン」という制度がある。公衆の面前に犯罪人を引き出して民衆に罵倒させ、罵倒しない人間は次回、犯罪人として引きずり出す、という制度だ。

 同胞意識、家族意識を解体させ、徹底した共産主義思想による洗脳を目指した非人道的システムである。親が子を罵り、子が親に石礫を投げるといった光景は想像するだけでおぞましい。また、破壊した僧院の僧侶に人々の眼前で尼僧との性交を強制したり、人々に対して、虐殺された僧侶の死体に小便をかけることを命じたりするなど、中共は非人道的行為によって従来の権威を解体することに血道を上げた。

 人々の心の拠り所ともいうべきチベット仏教を徹底的に汚辱したのだ。強奪、強姦、殺人など目を覆わんばかりの惨事がチベット全土で繰り返された。阿鼻叫喚の地獄絵図としか形容できない悲劇がチベット全体で繰り広げられたのである。数知れぬ多数のチベット人が生きたまま焼き殺され、手足を切断された。

 また、もう一つ看過できないのは、中共による移住政策である。チベットを独立国ではなく、あくまで中共の一部分、一省とするために、大多数の漢民族をチベットへと移住させているのだ。移住した漢民族はチベット語を話せない。漢民族が大多数住んでいるためにー従って彼らの間のみで生活が十分に成立するためにーチベット語を習得する必要もないのだ。もちろん、彼らがチベッ トの伝統や文化に敬意を持つわけはない。徐々にチベット自体が中国化していくのである。これは単なる偶然の結果ではなく、後に詳述する「中華思想」と密接に関係する事象であることに注目せねばならない。

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