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27歳で仕事を辞めたこれからの私

私は仕事を辞めた。

丁度5年くらい働いた。次の仕事はまだなにも決めていない。

通勤に車で40分くらいの距離で、アットホームで居心地は悪くないと分類されるであろう職場。理不尽な事ではらわたが煮えくり返るほどの思いをしたことも数えきれないほどあったが5年はちゃんと続けようと思いながら月日が経った。

私は一度始めたことを短い期間で辞めることはあまりない。何事もだいたい2・3か月でいろんなことが見えてきたり、環境に少し慣れてきたりして自分に合わないとかで諦めたり辞めたりする人もいるが、短い期間で辞めてしまっては、その先にはもしかして用意されていた着陸地点を見ることがなくなるのではないか。なんて思うから私は意地でもその環境に居座ってみる傾向がある。

そんな仕事も同じ作業、同じ環境、同じお客さんと繰り返しの業務でマンネリを感じてくる。しかしそれもすっかり型についたところだった。今までの私の信条からすれば5年続けてもまだこの先にもなにか…と考えられる予定であったが、私はあることに気が付いた。

今までの学生期間というのは習い事は何年生まで続けてみようとか、苦手な友達がいるこの環境もあと何年したら卒業だからとか、学生期間における半強制的な環境の変化がよくも悪くも私の人生を区切ってきた。

逆に続いてほしい環境であったとしても、それぞれ年を取りそれに伴い環境を変えなければならない日が必ず来る。アルバイトでとても仲の良い年の違う友達とも、学生期間がそれぞれ終わりがくるとアルバイト先からその友達を見送る。すると次の日からは卒業していった友達だけでなく残された私の環境も同時に変わる。

社会人になり、まず働く期間を5年とどこかで決めていたのはきっと学生が抜けていない私の弱さなのである。期限を決められ、自分で夢もなにも決められず時の流れに人生を預けていた私にとって、期限があるということはとてつもない支えとなっていたのだ。

社会にでるともちろん社内での提出期限など細かい期限には変わらず追われるが、会社での地位が上がるということ以外、区切りというのは自分が決めることになる。

仕事がいやになって辞めたわけではない。このままでも悪くはなかったのだが、一番大きな理由として期限なく毎日続く同じ生活リズムに居心地の悪さを感じたのだ。ただそんな環境から理由をつけて逃げだしたいという自分に対しての言い訳にすぎない‘辞める’という選択だったのかもしれない。

仕事は、1年くらい前から社長に辞めることを伝え、最後の出勤日は花束や手紙をいただく円満な退社であった。

私の初めての社会人生活はこのような形で終止符が打たれた。

これから次の仕事につくかはわからない。自分で仕事を始めたいという気持ちもある。

大学を卒業したら就職をするという最後の学生からの流れに人生を預け、5年後たどり着いた私は、恥ずかしながらまだボヤっとした人生を送っている。

これから踏み出す先がまた、会社員という道なのか、それとも自ら起業するのかはわからないが、なにか5年間に比べてゆとりと5年間の社会人生活を経て新卒とは違う視点で働くということに向き合おうとしている自分がいる。

この先にどんな未来が待っているのか、この世の中で自分がどのような一歩を踏み出していくのか俯瞰してみているような気持ちがある。幼いころ自分がやりたいことをみつけこれがやりたいと初めて習い事を習ったときのように、自分で決めるこれからの人生にワクワクしている次第なのだ。

こんな人生も悪くないと思えるように。

#一歩踏みだした先に

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