早朝の港で名脇役に憧れる【イワシとわたし 物語vol.12】
この時期の朝の港は寒い。その寒い港で彼は独りぽつんと立ち、辺りを見回していた。
港に人気はなく、遠くで波の音が聞こえる。
「今日はおじさんたち、来ないのか」
彼は一つため息を吐いた。
いつもなら、この時間この場所に2人の男が釣りをしている。
彼はたまたま早く起きた朝に、毎日通るだけだったこの場所にふらっと寄ったとき、男たちと出会った。
何を釣っているのか、いつも来ているのかと他愛もない話から始まって、最後には「大物が釣れたらここでさばいて食べてやろう」と盛り上がった。
偶然出会った彼は醤油担当になったのだ。
久々の新しい出会いに胸の高鳴りを覚えて、今日はたまたまではなく意識的に早起きをして、お気に入りの醤油を持って家を出た。
出たものの――というわけだ。
ほぼいつものルーティーンだといって、習慣化されているとはいえ、ルールではない。自分のペースで自分の好きなことを楽しむ。
今日はその日ではなかったようだ。
次の用事まで時間はたっぷりある。しかし、家に帰るのは、せっかく来たのにただ往復するようでもったいない。
彼は階段に腰掛けた。何と考えるわけでもなく、ぼーっと海を眺める。
海といえば晴れた空だと思うが、今日は生憎の曇天で海は、彼の胸の内を移すかのように少々青さを残してくすんでいた。
久々にぼーっと過ごしているからか、突如予想していた行動が変わったからなのか、何やら気持ちが落ち着かない。
そういえば、なんで刺身には問答無用で醤油なのか?
気持ちを紛らわすようにポケットのスマホを取り出して検索する。
検索結果は淡々とその理由を並べた。
刺身には醤油の理由その一。
グルタミン酸などの旨味成分と魚に含まれる旨味成分のイノシン酸が掛け合わさり、より旨味を引き出すから。
刺身には醤油の理由その二。
醤油に含まれる香り成分メチオールが魚の生臭さを消すから。
刺身には醤油の理由その三。
適度な塩分、アルコール分など様々な成分により、大腸菌や食中毒菌を死滅させるから。
スマホにつらつらと並んだゴシック体を追いかけて、「へえ」と一人納得した。
当たり前すぎて気にも留めていなかったが、ここまで書かれると刺身に醤油は必要不可欠とも思えてしまう。
はっきりと存在しているのに、その立ち位置はあくまで脇役。
しかし、替えを考えたくないほど主役を引き立たせるためにはなくてはならない存在でもある。
目の前の海も、確かに存在していて、主役のようでいて、誰かが安心して胸の内を表に出せるような、それを投影するような存在でもある。あるだけで、漠然とした感情を簡単に焦らないようにゆっくりと引き出してくれる。
手元も目の前も随分な存在感だ。
当たり前すぎて身近すぎるものが、なくてはならない何かを引き立たせる存在。
醤油って案外かっこいいかもしれない。
僕も、誰かの引き立て役になれないか。
主役でない名脇役。縁の下の力持ち。
主役が知らぬ間に、安心して笑っていられるような、その人がキラキラしていられるような存在に。
少し考えて、思い出す。
まずは、おじさんたちを笑わせよう。
醤油を持って、またこの時間この港で会うのだ。
彼は子供が何かを企むような笑みを口許に浮かべた。
次の行き先へと足を向ける。
また明日も来よう。そう踏み出す足は軽い。
model:なおき かしわぎ Instagram(@naoki_kashiwagi)
撮影:こじょうかえで Instagram(@maple_014_official)
撮影地:サンセットロード
文章:橋口毬花 (下園薩男商店)
イワシとわたしの物語
鹿児島の海沿いにある漁師町、阿久根。
そんな場所でイワシビルというお店を開いている
下園薩男商店。
「イワシとわたし」では、このお店に関わる人と、
そこでうまれてくる商品を
かわいく、おかしく紹介します。
and more…
モデルインタビュー/オフショット
鹿児島醤油の開発秘話
イワシとわたしのInstagramでは、noteでは見れない写真を公開しています。