偉大な失敗の先に何があるのか
ものごとを成功させるには偉大な失敗が必要だということを自分はよく考える。
勇気を出してしたことに対して、結果が出なくても腐ることなく、必要なものを羅列し、理解し、修正していくことが重要となる。
これは何も妄言として述べているわけでもなく、過去に自分が芸術分野のことで結果を出した時のことを冷静に分析として考えたことでもある。
つまり何がいいたいかというと、挑戦するということこそが始まりであり、勇気の一歩であるということである。
しかしながら人間だれしも失敗を恐れる。失敗を恐れるゆえ、成功の形ばかりを求めすぎてしまう。求めすぎる理想と実際の状況がかけ離れると絶望してしまう。でも元来誰かに合わせて作ったものではなく、自分自身の理想や尊厳のものが短期スパンで評価されるということこそ、かなり難しいレアケースなのではないかと考える。
ゆえに必要になってくるのは好きという気持ちを保った上での持続的な努力活動と人の目に触れる機会ということな気もしてくる。好きを持続していく前に、自分の才能を見限ってしまう人だって数知れずいる。そこに何パーセントの持続機会があったら何かが変わっていたことも、もしかしたらいなめかったこともあったのではないかということを考えないことはない。
まずはやってみる。あたりまえのように聞こえるけど、そこをはずしてことは考えられはしない。自分自身の創作の価値創造を高められるのはいつだって自分しかありえない。誰かではなしえない。仮に誰にも理解されなくてもやりたいことが存在するならば、それは幸せな行為であることには間違いないのは確かである。
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