何が建築?建築って何? その1
僕は建築学生で、もうすぐ夏休み。建築を学んできて、これからも建築を学ぶ。夏休みが始まる前に、建築について考えたい。
建築の言葉の本質が「手でこねくり回してつくる」だと仮定したい。
広義の「建築」とはありとあらゆるものすべてだといえる。神様がこねくり回して作ったといえば、地球までもが建築であるといってもいいだろう。
よくNHKで自然の作り出した造形なんて言葉が出る。何でもありだ。難しい定義なんて必要ない。
とすれば恰好が良いがこれでは議論にするのは難しそうだ。こんな案でも面白いけど。
もっと建築の意味を絞ろう。「生き物が作ったもの」なんてのはどうだろう。シロアリだってハチだってビーバーだって家を作る。
人間が作らなくたって立派な建築だと言えそうだ。人間が考えて「創造」したものが建築だという人もいる。本当にそうだろうか。
小さい子供がつくった砂の城は建築ではないのだろうか?芸術家がつくればその立派な砂の城は建築と呼ばれるのだろうか?
「もはや建築物!驚きのアート作品が海岸に出現!」なんてタイトルのネットニュースが出そうだ。
建築って何だ?
では3Dモデルでつくった家はどうだろう。学校の設計課題の時に一生懸命つくる「あれ」は建築だろうか。建築じゃないとしたら、僕たちは何を議論しているんだ?
建築の意味を絞るとこんなことになる。
よくわからない議論が生まれてしまう。
もっと自由な発想でいいんじゃないか。
何でもかんでも「建築」だ。ハチの巣も砂の城もモデリングした家も、全部「建築」。なぜかって「手でこねくり回してつくる」ものだから。その行為そのものが建築なんだ。
ハチは顎でつくるって?じゃあ「体でこねくり回してつくる」にしよう。自由に行こう。建築について考えることだって「建築」にしよう。
頭だって体だ。頭の中にあったって建築だ。
何故建築が生まれたか。それを考えればこの本質は見えてくる。
建築が生まれた日、それは生きたいと思って体を動かし始めた日だ。
人間が地上最強の捕食者で、原っぱで寝転んでいても全ての生物が恐れおののいて去って行ったとしたら、僕たちは家をつくらなかったかもしれない。
雨に打たれたって、灼熱の砂漠だって、極寒の氷の大地だって、へっちゃらだったら家はいらなかったかもしれない。
でも人間は弱かった。全然へっちゃらではなかったし、肉食獣や草食獣にだって襲われた。小さなネズミにだってかじられた。
生きるには自分の身を隠したり、守ったりしないといけなかった。僕たちは生きたいと思って体を動かした。
僕たちは「建築」を始めた。洞窟に住んだり、食糧庫をつくったり、柵をつくったり家をつくったり。僕たちの建築は「弱さ」から始まった。弱いから「体でこねくり回してつくった」。
他の生物だってそうだった。鳥はひなを育てるために巣をつくる。ひなが自然界で生きていくには弱いからだ。
少しでも自然から遠いところ、それが建築の「中」だ。
僕たちは今、エアコンの効いた部屋の「中」いることだろう。自然から壁1枚を隔てたところ、自然の力が弱くなったところ。これが建築の「中」だ。
内部と外部なんて難しい言葉はまだ登場しなくてもいい。
もう少し「中」の話をしよう。
建築の「中」のお話は次回に!
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