何が建築?建築って何? その2
前回から時間が空いてしまったが、建築について考えていこうと思う。その1は導入的な部分があったので、真面目な話をしていこう。
私の考える建築の「中」というのは動物の巣のようなものである。人間の建築も一種の巣だと言えるが、あまりにも発展しているので同一のものだというのは無理がある。建築を学んでいても、「中」より先に内部と外部について考える。少しだけ触れておくと、内部とは外部があって初めて誕生する概念である。内部と外部というのは原始的な建築(例えば動物の巣のようなもの)にはなく、より高等な建築において発生する問題である。
あくまで原始的なところに注目して話を進めていきたい。まず、建築の「中」というのは自然の作用を小さくした空間である。ここでいう自然は田舎の祖父母の家に行って感じる自然とは少し異なる。自然は常にそこにあり、変化し続けるものである。この自然の感覚は時間の感覚とかなり近い。時間は自然の作用だというのは言い過ぎだろうか?私にはまだ判断できない。
自然の作用を少しだけ羅列しよう。晴れた日には日光が降り注ぐ。雨の日には水が大地を削る。夜は暗い。森や山は空より暗くなる。これらを人間はどう感じるだろうか。日射を受け続ければ皮膚はダメージを受ける。雨を受け続ければ熱が奪われる。暗い森に居れば逃れようのない不安に駆られるはずだ。今の私たちがありのままの自然で生きていくことは難しい。本来自然とは恐ろしいものなのだ。私たちの多くはそれを知らずに生きている。
私たちは衣服を着ることによって、高温や低温、日射や降水等の作用を弱めることができる。前回述べたように人間は弱い動物であるので、自然から少しでも遠い場所が必要なのだ。衣服は「中」を作り出している。同様にして建築はより強固な「中」を作り出す。建築の「中」は日射を遮り、雨を通さず、森に潜む脅威から身を隠す。自然から少し遠い空間を作ることで生き長らえることができる。「中」を作る行為は、自然界に住む動物も人間も同じである。
今の例えは動物を想像すればしっくりくるかもしれないが、人間を想像するとどうも納得いかないだろう。その理由は前述の通り、私たちが自然の恐ろしさを知らないからだ。災害は恐ろしいものだというのは誰でも思うことだろう。台風や地震のような大きなエネルギーを前にして、人間ができることは限られている。隠れて身を守るくらいだ。人間にとって自然はそうであったのだ。いや、そうであったと思っているだけで今もそうであるという言い方がおそらくは正しい。
現代の人間は文明以前の人間よりも弱い。そんな現代人が文明の利器を捨て、裸一貫で山奥に入れば、自然の恐ろしさを身をもって体感できるであろう。自然は変化し続ける。何をしていても自分以外のすべてが恐ろしく感じるはずである。
では何故私たちはその自然の恐ろしさを知らないのか。わかりきったことを言ってしまうようで申し訳ないが、それは私たちが都市に住んでいるからだ。
次回は「都市」のお話です。
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