殺人出産を読んで
殺人出産は文学的ディストピアである。倫理観とは何か、その脆弱性と強固さには絶望するしかない。いやな気持が残る。その本質は無力感である。世界は残酷である。そこに美しさが宿る。
「殺人出産」、村田沙耶香が書いたこの本には殺人出産他、トリプル、清潔な結婚、余命が収録されている。今回は殺人出産を取り上げたい。著者の村田先生は「コンビニ人間」で有名になった作家さんである。恥ずかしながらまだコンビニ人間は読んでいない。Amazonの欲しいものリストには入っている。手元に来るのも時間の問題だろう。コンビニ人間を読んだ母曰く、暗いとのことだ。殺人出産についても、私は同様の意見である。
ここまでで殺人出産という単語をもうすでに7回も言っているのだが、読んだことのない人にとっては衝撃的な語の並びであろう。殺人と出産、この二つが並んでいるのを私は初めて見たのである。しかし、読み終われば自然な感じがするのだ。
読後感としては、よくわからない現代アートの美術館に行った後、近くの食堂でエビフライ定食を頼む。エビフライにかかっているソースが案外おいしくて尻尾まで食べてしまった。その尻尾のかけらがのどに残ってしまってイガイガする感じ、だ。わかりにくくて申し訳ないが、私にはこう感じられたのだ。
これを詳しく話すのはあまりすべきではないと思うが、少しだけ付け加えれば、私にとって現代アートはいつも「まだ早かったか」と思う対象なのである。そして私はエビフライの尻尾は基本的に食べない。これで十分だろうか。
長くなってしまったが、あらすじを。百年後の話である。それほど遠くはない未来、今の私たちにとっては考えられない制度が採用されている。その名も殺人出産システム。これは十人産めば一人殺すことができるという制度。これは何も女性だけの権利ではない。男性にも可能である。この時代では、基本的に女性は初潮を迎えると避妊器具を体内に入れる。このため自然妊娠というのはない。人工授精が当たり前であり、センターっ子を受け入れることも多くある。
センターっ子というのはこの殺人出産システム他、国の管理する人間から産まれた子供のことで、養子として引き取ることができる。出産・育児という行為が理性的に行われる社会、もうすでに意見の分かれそうなところではあるが、私が注目したいのはこの社会における倫理観である。
十人産んだ者、同時に一人殺した者は犯罪者か。殺人を犯した人間である。その人は「産み人」と呼ばれ、祝福される。さて、私たちの倫理はもう通用しない。これは命の価値が決まっているようなものだ。殺される一人はどのような人物であろうと、これから社会に出ていく十人の子供の価値よりも低いのだ。まるでトロッコ問題である。
しかしこれは極めて合理的なシステムなのだ。自然妊娠が消滅し、人口が少なくなったこの社会ではいかにして人口を維持するか、増やしていくかが問題になる。そのきっかけとしてこの制度がある。産み人を崇めるまでがセットなのだ。十人産むというのはこの時代においても大きなリスクを孕んでいる。十人産まずして息絶える人もいる。何故産み人が讃えられるのか。
一番の理由としては教育によるものだ。まず歴史上、現代の私たちが野蛮であった、と教えられる。殺人を犯した者は死刑に処される。これは野蛮な行為である。非合理的なシステムである。殺人を犯した者は一生子供を産むべきだ(これを「産刑」という)。命を奪った者は、命を産みだすべきなのだ。少し鳥肌が立ってしまったのではないだろうか。
先ほどのセンターっ子、これにはこの産みだされた命が含まれる。つまり、この社会では子供に罪がないのだ。センターっ子には祝福された産み人による命と産刑による命がある。しかし区別されているような記述はなかった。子供は社会的価値の象徴であり、誰によって産まれたかは重要ではないのだ。
教育によってつくられた倫理観は恐ろしく強固である。彼らは、私たちが殺人のすべては悪であると信じているのと同じく、殺人出産システムが善だと信じている。ここでは主人公の従妹であるミサキを取り上げたい。ミサキは小学五年の女の子で、子供特有の知的好奇心を人一倍持ち合わせている。研究者になりたいと言っており、その関心は専ら産み人に向けられる。ほとんどの読者が気持悪いと思うほどの探求心であり、一部の研究人は小さくうなずいてしまう。彼女は教育の産物である。彼女はセンターっ子であり、その出生に興味があるため、このようになっているのだろう。
よく考えてみてほしい。このセンターっ子だが、教育が施されれば施されるほど増えるのである。産み人になりたいセンターっ子が十人に一人以上いればいいのだ。センターっ子はミサキ同様、産み人に興味を抱くことだろう。自分たちを産んだシステムは善である。このシステムはすでに自走しているのだ。一般意志といっていいほど倫理観はより固くなっていく。
この倫理観、百年後の話である。180度まではいかないものの150度くらいは回っている。倫理観とはシステムを導入し、そのシステムがうまくいく教育を作れば簡単に変わってしまうものなのかもしれない。倫理観は明文化されるようなものではないため、気づくのは変わった後なのだ。これに近い経験がある人もいることだろう。
この時代の当たり前は、現代の私たちがみればある種のディストピアだ。テクノロジーの行く末といえばそうだが、このシステムの真髄は人間の倫理観にある。
この本の美しさはその結末にある。世界は残酷だ。これはずっと前から言われていたことではある。ここには無力感があり、私たちはただそこを漂うだけだ。何故かそれに美しさを感じる。是非ともこの心地よい「いやな気持」を感じていただきたい。
初めてnoteで書評を書いてみた。書評というよりは、読んで感じた違和感を羅列しただけなのかもしれない。それでも書かずにはいられなかったのだ。この本はかなりページ数が少ないので、普段本を読まない人にもおすすめだ。
以上、殺人出産を読んで、でした。
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