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「メンデルスゾーンの手紙と回想」を翻訳してみる! 29

第4章-5.フランクフルト、1836年:愛の中で――ジャンルノー一家


 1836年は、メンデルスゾーンの人生において重要な年のひとつだった。彼が未来の妻に初めて出会ったのが、この年だからだ。
 ジャンルノー夫人は、フランクフルトにあるフランス改革派教会の聖職者の未亡人だった。彼女の夫は壮年のうちに亡くなり、子供たちと共に両親の家で暮らしていた。実家のスーシェイ一家は、町のずば抜けた有力者だった。
 フェリックスは彼らに紹介されてすぐ、長女セシルの美しさと優雅さに魅了された。

 彼の訪問は頻繁になっていったが、自分が見初めた人の前では遠慮がちに振る舞っていた。
 これは後年、彼女が夫のいる前で笑って話してくれたことだが、彼女は数週間の間、メンデルスゾーンが自分に会いに来ているなどとは夢にも思っていなかったらしい。自分の母親に会いに来ているのだとばかり思っていたそうだ。
 実際、若々しい闊達さと知性、風雅さを併せ持つジャンルノー夫人と、生粋のフランクフルト言葉で会話を楽しむのは、非常に魅力的だった。
 フェリックスは確かにセシルとはほとんど話をしていなかったが、彼女から離れると、饒舌に彼女のことを話していた。
 夕食後私の部屋のソファーに寝転がって、あるいは穏やかな夏の夜にS博士と私と三人で長い散歩をしながら、彼は彼女の魅力、優雅さ、そして彼女の美しさについてべた褒めした。

 彼にはゆとりがあった。人生においても、芸術においてもだ。彼は彼女に、とても魅力的で率直な、楽しく朗らかで、芸術的でない方法で心を注いでいた。しかしそれは深い愛情であって、決して大げさな感傷や抑えきれない情熱ではなかった。
 それが非常に真剣な想いだということは誰が見ても明らかだった。彼と何かを話そうとしても、彼女の話題抜きでは会話することが難しいほどだった。
 セシルを知らなかった当時の私にできたのは、親身な聞き手役になることだけだった。
 腹心の友という存在がどれだけ割に合わないものか、私達はフランスの悲劇から教えられた。フェリックスの打ち明け話を聞く時にはSもよく共にいたので、私は自分が唯一の親友だという満足すら得られなかったが、そのおかげで、彼と私とでこの打ち明け話について相談することができたともいえる。
 恋愛ごとの相談につきものの単調さを我慢できたのも、私達がメンデルスゾーンのことを大好きだったからだ。

 メンデルスゾーンの恋はひそやかなものではなく、フランクフルト中から好奇心と興味津々で見守られていた。
 私が聞いた発言の多くは、天賦の才と高い教養、名声、愛嬌、そして幸運をも持ち合わせ、社交界で重要視される名家の青年であっても、貴い生まれの少女に目をつける権利はない、という感じだった。
 しかし、この類の言葉はメンデルスゾーンの耳には届かなかったと思う。

解説という名の蛇足(読まなくていいやつ)

 メンデルスゾーンにとって、この年のフランクフルト滞在は、ロッシーニの来訪よりももっと大事な人との邂逅があった。
 今回から、のちにメンデルスゾーンの妻となるセシルさんとのエピソードだ。
 なれそめから始まって、ジリジリしたりアタフタしたりノロケたりするメンデルスゾーンが楽しめるので、ぜひ読んでいってほしい!
 まず今回は、出会いからだ。

★ジャンルノー夫人
 エリーザベト(リリ)・ヴィルヘルミーネ・ジャンルノー=スーシェイ・デ・ラ・デュボワッシエール(1796-1871)。
 実家のスーシェイ・デ・ラ・デュボワッシエール家は、フランクフルトの町の有力者。1685年のフォンテーヌブローの勅令により、フランスから亡命してきたユグノー教徒の一族。
 1814年にフランクフルトのフランス改革派教会の聖職者だったフランス出身のオーギュスト・ジャンルノー(1788-1819)と結婚。
 1819年に夫が結核で亡くなってからは、4人の子供と共にフランクフルトの実家に身を寄せる。
★セシル・ジャンルノー=メンデルスゾーン(Cécile Charlotte Sophie Mendelssohn Bartholdy, 1817-1853)
 リヨン生まれ(病床の父の療養地だった)。4人兄弟の末っ子。
 母方の祖父コルネリウス・カール・スーシェイ(1768-1838)からつながるマックス・ウェーバーは、セシルの従甥(マックス・ウェーバーの母がセシルのいとこ)にあたる。
 1837年にフェリックス・メンデルスゾーンと結婚。4男2女を授かるがうち1人は夭逝。

 ……セシルさんのことを詳しく書くとネタバレになってしまうので(笑)、今は控えめにしておく。
 1836年当時、メンデルスゾーンは27歳、ジャンルノー夫人は40歳、セシルはまだ19歳だ。誤解を恐れず言うが、大学1年生から見る27歳ってほとんどおじさんだと思う。
 メンデルスゾーンは紹介された当初からセシルに首ったけで、その後訪問の回数が増えていったとのことだが、セシルもまさかこのおじさん……才能ある若き巨匠が、自分目当てで通ってきているだなどとは思っていなかった。
 メンデルスゾーン本人の方にも年齢差の自覚はあったのか、それとも単に恥ずかしかったのか、ジャンルノー夫人とは饒舌に話せても、セシル本人とはあまり会話が弾まなかった模様。

 セシルさんについては、メンデルスゾーンの親族や伝記作家が多々記録を残してくれているが、それらを総合すると、いわゆる才女ではなかったらしい。
 何かの特殊技能があるわけでもなく、特筆すべき美人でもなく、高度な教育を受けたわけでもなく、音楽や芸術の知識も多くはなかった。
 メンデルスゾーンの一番近くにいた女性といえば、姉のファニーだ。彼女はメンデルスゾーンと肩を並べるほどの音楽の才能と知性を持った女性だった。フェリックスとは幼少期から非常に仲が良く、「二人はいつ結婚するの?」なんて(冗談で)聞かれていたほどだった。
 姉だけでなく、母も祖母も叔母たちも、才女ばかりだ。
 そんなメンデルスゾーンが選んだのは、言ってしまえば平凡な、素朴で明るくて笑顔の可愛い年の離れた女の子だった。エモい。

 本人を目の前にするとうまく話せなかったメンデルスゾーンだが、セシルのいないところではセシルの話ばかりしていたらしい。
 以前の記事でメンデルスゾーンのお気に入りだと書かれたヒラーの部屋の皮張りソファに転がりながら「セシルがこういう事言ってたんだよ、かわいい」とか、夜の散歩を楽しみながら「セシルは夜は○時に寝ちゃうんだって、かわいい」とか聞かされるわけだ(※想像です)。
 友達連中はさぞや耳タコだっただろう。またセシルの話かよ。さっさと告っちゃえよ。

 この本には、よくイニシャルしか出ない人物が登場するのだが筆者の調査能力が足りず、なかなかその正体がつかめない。
 今回登場した「S博士」もよく分からなかったのだが、ドイツ語版Wikipediaには「メンデルスゾーンの周囲の人々」みたいなカテゴリページがある。その中からこの人かな? という候補をふたり見つけた。シュープリンクとシュライニッツだ。
 ユリウス・シュープリンク(Julius Schubring , 1806–1889)は聖パウロの台本を書き、エリヤの作曲についてもメンデルスゾーンにアドバイスをしたらしい。
 彼の息子(のちにメンデルスゾーンの手紙にも登場する)はのちに、父とメンデルスゾーンの交遊についての著作を出しているそうだ。
 ハインリヒ・コンラッド・シュライニッツ(Heinrich Conrad Schleinitz,1805(諸説あり)-1881)は、ライプツィヒで教育を受けた法律家・テノール歌手。
 「夏の夜の夢」を献呈された人物で、のちにメンデルスゾーンが創立するライプツィヒ音楽院で教鞭をとることになる。
 この二人のどちらかなのか、そもそも全然違う人物なのか、確証がないので引き続き調査を続ける。

 これだけメロメロだと心のよゆうがなくなってしまうのでは? と思うが、仕事やプライベートがわりと安定している時期だったのもよかったのだろう。焦ったり無理強いしたりすることもなく、ゆっくりと愛を育んでいったようだ。
 ごくふつうの女の子である彼女の気を惹くのに、芸術の話などしない。新進気鋭のマエストロ・メンデルスゾーンも、セシルの前ではただのおじさ……青年だ。どんな他愛ない話をしたのだろう。そしてどれだけそれを楽しんだのだろう。想像に足りない。

 周りの人間は、彼と話すときにセシルの話題なしには会話ができなかった、とのこと。それくらいセシルの事ばかり話すメンデルスゾーン……これはもう呆れられても仕方がない。
 が、「腹心の友」ヒラーとS博士は、それに辛抱強く付き合った。
 正直他人の恋愛相談とかクソつまんない話になりがちだ。もうその話何度も聞いたよ。ハイハイだから告っちゃえって。でももストもねえよ!

『「腹心の友」が割に合わない役どころだという事を教えてくれるフランスの悲劇』について、いろいろ調べてみた。
 どうやら17世紀フランスの戯曲では、ジャン・ラシーヌやピエール・コルネイユが「腹心の友」という役割の登場人物を作中によく使用したようだ。
 19世紀前半は、古典戯曲のリバイバルが人気だったので、ヒラーも劇場でいくつか観劇し、腹心の友ってめっちゃ損……と思ったのかもしれない。まさか自分がその役どころを演じることになろうとは、よもやよもやだ。
 「腹心の友」は底本では「confidant」という単語を使われている。Weblio辞書では、「 (秘密、特に恋愛問題などを打ち明けられる)腹心の友、親友、のろけ相手」となっている。ドンピシャだ。独語原著では「Vertrauten」だった。

 その恋愛相談を自分だけに打ち明けてくれるのなら「メンデルスゾーンの一番の親友は俺なんだ!」という喜びもあろうものだが、S博士もいたからその自尊心は満足させられなかったヒラー。
 だが逆に唯一の腹心の友でなかったことは、
「フェリックスのやつ、あんなこと言ってるけどどうしよ」
「さっさと告ればいいのにさあ」
「フラレたらって思うと怖いんじゃね」
「セシルんちのおばさん経由で好みのタイプとか聞いてみるか……」みたいな相談(※想像です)ができたというメリットもあった。
 二人がこれだけつまらん話に耳を傾けられたのも、ひとえにメンデルスゾーンへの友愛からだと断言している。熱い友情エピソードだ。

 さてそんな、のんびりと愛を育むメンデルスゾーンとセシルだったが、その恋は二人とその友人たちにとどまらず、なんとフランクフルト中からの注目の的だったとのこと。
 筆者がそんなことされたらめちゃくちゃ嫌だ。恥ずかしくてしばらくその街に立ち入れない。
 だが愛の中にいるメンデルスゾーンには、そんな視線も、不釣り合いだとささやく陰口も、なーんにも気にならなかったのだった。必ず最後に愛は勝つらしい。

次回予告のようなもの

 フランクフルトで運命の出会いを果たしたメンデルスゾーン。
 だが、当時のメンデルスゾーンの拠点はライプツィヒだ。遠距離恋愛になってしまう。
 次回はそんな遠距離恋愛にメンデルスゾーンがジリジリしながら、オランダのハーグからヒラーに送った、1836年8月7日の手紙を紹介する。

 次回、第4章-6.プファライゼンにいたかった! の巻。

 来週もまた見てくれよな!

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