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「メンデルスゾーンの手紙と回想」を翻訳してみる! 55
第5章-16.ベルリン、1838年:筆不精な文通相手
ベルリン、1838年7月15日
親愛なるフェルディナント――地を満たすあらゆる種類の生き物は、神によって創造されたものです。
つまり筆不精な性格すらも神の思し召しなので、僕が生まれ持ったその性質についてあまり怒らないでください。
インクがすらすらと流れない時もあるし、もし僕から手紙を書かなくても君からすぐに答えが返ってくるとしたら、本当に手紙の書き方を忘れてしまいそうです。
長い間の音信不通と、この硬い文章からお分かりになるかもしれませんが、今がまさにそのような状態です。ですが先ほど書いた通り、返事をいただくためにしたためております。
君が手紙を書き始める時には、僕への斬新な罵り言葉を発見してくれることを祈っています。そうすれば僕もすぐにそれを使えるので。
それに、僕が仕事として手紙を書いているのですから、君はビジネスマンとして答えねばなりません。コンサート用に君が我々に約束した序曲についてお聞きしたいのです。
進捗はいかがですか? 当方にお送りいただければ、九月末のコンサートプログラムの第一曲目に組み込むことができます。
「そっちこそ僕が望む、ヘルテル社から出た君の楽譜を送ってくれていないじゃないか」などと反論しないでください。
君は僕がこちらに来てからのこと、慌ただしい生活のことを知っているでしょう。そこへ今、さらに何を上乗せしようっていうのですか?
君が祖国へ戻ってきた暁には、僕はむしろそれらすべてを君のために全部まとめて一通り、演奏して聴かせたいと思っています。
ですが君の場合はそうはいきません。君の曲は僕の演奏の助けになるはずだし、僕らに喜びを与えてくれるはずだし、君は僕に約束してくれたのだし、君は言った事は守ってくれるはずです。
序曲の完成とそれを君が送ってくださることを待ち望んでいます。
この曲については、長い間、どんな音楽よりも切望しているのです。君のイタリアでの暮らしぶりや活動について知りたい気持ちと同じくらいに。
今頃君がお母さんと一緒にコモの湖畔に座っているだろうと想像して、間違いなくとっても楽しく暮らしているはずだと考えています。
それからリストと一緒にくつろいだり、ああそうだ、ノヴェロ一家がミラノにいるんだそうですね。宮廷へ彼女たちに会いに行ったり、レッスンをしているんだと思います。
彼女は今でも君の、特別お気に入りですか? 彼女の歌やルックスについて、どうですか?
解説という名の蛇足(読まなくていいやつ)
前回まで1838年4月の手紙を紹介したが、今回からはその3か月後、7月15日付の手紙を紹介する。
この手紙、差出元はベルリンだ。ライプツィヒ通り3番地の実家に滞在中のメンデルスゾーンが書いた手紙という事になる。
書き出しは突然の聖書めいた言葉……の振りをした「手紙遅れてごめんね許して」である。
もう何度か言った気がするが、いろんな時代の人々が手紙にしたためた「手紙遅れてごめんね」と「手紙早くちょうだいよ」の言い回しを集めた本が欲しい。絶対おもしろいはずだ。
あまりに手紙を書かな過ぎて手紙の書き方を忘れそう、というか今まさに忘れかけてる、ということで、いつも以上に堅苦しい訳文を選んだ。底本もちょっぴり訳しづらい表現が多かった。
返事には僕への斬新な罵り言葉をお願いね、すぐに僕もそれを君に向かって使うから、という言い回し、いつもいつもヒラーに楽譜を送ってくれるよう頼んでいるメンデルスゾーンのおちゃめな皮肉だ。この人本当に皮肉が上品で困る。京都の方ですか。
まだまだ楽譜が届かないヒラーの序曲について、さすがに業を煮やしたのか「ビジネスマンとして」ヒラーに進捗を尋ねるメンデルスゾーン。今送ってもらえれば、9月末に演奏できるよ、とのこと。
……当初の演奏予定はいつだったんだっけか。2月だったろうか? 半年以上前だ。ここまで遅れてしまうと、さすがのメンデルスゾーンも友達としてではなくビジネスマンとして甘え抜きで回答を求めている。
かと思いきや、すぐ次の行でメンデルスゾーンも頼まれている楽譜を送っていないことが判明(笑)
しかもそれにはちゃっかり(逆ギレ気味の)言い訳をあらかじめ添えている。
ヒラーが祖国へ戻ってきたら、僕の曲なんか「全部まとめて一通り」(←ここはフランス語だった)弾いて聞かせてあげる、という非常に贅沢でうらやましいことをさらりと言った後に、でも君はさっさと楽譜を送るように、とダメ押しだ。
ちなみにこの「祖国」という単語、底本でも「Vaterland」というドイツ語で書かれていた。またそういう言語ごちゃまぜ手紙を……才能が溢れすぎている……。
今までの手紙でも何度か登場したこの序曲の進捗と出来栄えについては、確かにメンデルスゾーンは興味深く見守っていることが分かる。
筆者などは、好きな漫画の新刊がなかなか発売されなくても何とか待っていられるが(というかそもそもなすすべもないが)、メンデルスゾーンにとっては自分の仕事上でも非常に重要になってくるのだから、ファンというよりは編集者の気持ちに近いかもしれない。
そんな、長期間興味を持ってじりじりと序曲の完成を待ちわびる気持ちと同じくらい、ヒラーのイタリアでの暮らしぶりも気になっているという言葉で、ビジネスメールから友達への手紙へ暖かく転換させている。
ここで地名の出てくるコモ湖は、スイスとの国境から20km程度の、イタリア北部にある風光明媚な湖。古代ローマ時代から避暑地・保養地として人気の場所だったらしい。
近年ではスター・ウォーズのロケ地になったり、サイクリストの聖地とされる教会があるなど、魅力をますます増やしている。
画像:Wikimedia commons
こちらは1830年頃の絵画作品。ベッラージョへ続く道から見た、コモの町の様子だそう。綺麗なところですね。
このベッラージョというコモ湖畔の街が、フランツ・リストがマリー・ダグー夫人との不倫逃避行で暮らしていた場所だ。
「リストと一緒にくつろいだり」とメンデルスゾーンが書いているのは、おそらくヒラーからもそんな話を聞いているのだろう。
そしてここでもまた、ノヴェロ嬢の登場。もう何度目だろうか?(笑) 間違いなく、メンデルスゾーンのお気に入りの揶揄いネタだ。
「今でも君の特別お気に入りですか」「彼女のルックスどうですか」だなんて、後世にこの手紙が残ったらヒラーの立場が危うくなるかもしれないじゃんね(バッチリ残っているのであった)。
次回予告のようなもの
今回は少し短めのパートだった。次回も引き続き、1838年7月15日付の手紙を紹介していく。
当時ベルリンはドイツの中心都市のひとつであり、メンデルスゾーンにとっても故郷と言って差し支えない場所ではあるが、マタイ受難曲蘇演時のレイシズム的な揶揄や妨害、恩師ツェルター亡き後のジンクアカデミー指揮者選挙で屈辱的な仕打ちなど、いい思い出だけの町ではない。
妻と息子と共に里帰りをして、また違った視線で見れるようになった部分もある……としながらも大半はやはりベルリンの愚痴(笑)
次回、第5章-17.ベルリンであった良い事悪い事 の巻。
次もまた読んでくれよな!
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