置き忘れられた須恵陶片
アメリカ人の友人J氏は、たぐいまれな目利きだった。コレクションしている古美術は一本筋が通っていて、いわゆる高価な名品というより、見るとこちらがはっとさせられるものをお持ちだった。
初めて都内のご自宅にお邪魔したのは、40年程前になるだろうか――。
飾り棚にさり気なく、須恵風の小鉢の陶片が置いてある。許しを得て手に取ると、口縁部や付け高台の造りの素晴らしい陶片である。一口に付け高台と言っても、千差万別だ。これは高台の接着部分の丁寧な細工が、上品なやわらかさを醸している。
「いい陶片ですね」と言いながら棚に戻すと、「あげますよ」と仰り、この陶片にまつわる話を始めた。
日本の古美術に深い憧れを抱いていたJ氏は、来日後の数年間を奈良で過ごした。雨の降った翌日は必ず平城宮址を散歩することにしていて、この陶片はそうした中で拾ったものとのこと。
平城宮址、精製されたきめ細かな土、そしてとても丁寧な造りからすると猿投か、陶邑か……。話を聞きながら、私もあれこれ想像をめぐらせた。
もう一つ、この陶片は以前、J氏が家を貸していた焼物好きの友人に差し上げたものだという。友人が引っ越した後、押入れにポツンと置き忘れられていたらしい。
その陶片に目をつけたのが私ということになる。
この日を境に、J氏と私の骨董をめぐる距離が近しくなっていった。右手に骨董をかかえ、左手に好物の豆腐を提げて私の家に来ては、酒を呑みながら夜遅くまで話しこんだ。
かつて、おそらくは大切にされたわけでもなく置き忘れられたこの陶片。一夜にして、J氏と私のその後15年におよぶ親交の、はじまりの陶片となったのである。