美濃の型皿
昔、多治見市内に発掘品専門の骨董屋さんがあった。加藤唐九郎さんもよく来たという、有名な店である。
やきものの材料を探しに瀬戸・多治見に行けば、必ず立ち寄ることにしていた。
40数年前、輪花状の型押しで付け高台の、径14センチほどの皿を求めた。よく見ると、型にのせる前だろうか、素地土をやわらかくするために、布か刷毛で水気を与えたと思われる跡が残っている。型からはずした後に、蓮弁様に縁を成形している。
後年、別の店で手に入れた同様の型押し・付け高台の菊形の皿の破片も、径・高台径がほとんど同じである。
このようないわゆる雑器と言われるものは、世間の支持を得れば似通ったパターンで相当長い期間にわたって作られ続けたのではないかと思う。
大きな登り窯でこの型の皿が何百、何千と、幾度も焼かれたことだろう。
多治見のこの店には、他にもあらゆる瀬戸・多治見のやきものが並べられていた。だが、たとえ破片であっても、志野と織部だけは決して売ってはくれなかった。それは重々承知していながら、ひとしきり矯めつ眇めつするのが常だった。挙句に思わず「これいくら?」と尋ねて「だから売らないのっ!」と主人に一蹴され、大笑いしたこともある。
古びた木の箱に、志野の茶碗の高台の破片が山と積まれた様が思い出される。