「この場所は拠点である、名前はまだない」
空間デザインの依頼が来たとき、依頼者には必ずその目的を聞く。
「この場所の目的は? ここで何をしたいんですか?」
目的がはっきりしていれば、スケジュールも立てやすく予算配分も明確になる。皆で確認したゴールに向かって、プロジェクトを進めていけばいい。
あれ? 普通のこと言ってますね。
ともかく、飲食店やオフィスなど、空間の目的が明確な場合は、そういったアプローチが適切だし、参加メンバーのモチベーションも維持しやすい。
また、ゴールが不明瞭なプロジェクトの場合は、デザイナーをリサーチ段階からチームに入れることも普通になってきている。その流れは岩沢兄弟的にも大歓迎!
……なんですが、一方で、具体的な機能や用途を定めずに進める空間づくりが必要な場合もある。
ゴールのないプロジェクト、目的のない空間
昨年度から参加している「神津島のアートプロジェクト拠点づくり」などは、明確なゴールを設定しないプロジェクトの例だ。(*詳細は「HAPPY TURN/神津島」公式サイトにて)
少なくとも「拠点を作る」というゴールはあるし、オープン日も設定されているけれど、目標に向かって効率的に進むというよりは、皆で粘土を捏ねるように空間をつくる作業を続けている。
イメージ的にはこんな感じ。
(▲田中功起《a pottery produced by 5 potters at once (silent attempt)》)
対話をしながら、一つの粘土を一緒に触って形づくる。
これがなかなか難しい。
形を整えるだけなら、誰かひとりがイニシアチブをとり、周囲を巻き込んで行けば短時間でできるだろう。ワークショップの手法を用いて、誰か一人が求める方向に”誘導”することだって可能だ。
だが、そうではなく、グネグネと遠回りすることそのものが、このプロジェクトの肝なのである。
呼び名をつけることで得るもの/失うもの
神津島の拠点で作業をしていると、通りがかりの人に「ここは、なんになるの?」とよく声をかけられる。
そのとき、「この場所は、みんなが集うカフェになるんです」って、言い切れたらどんなに楽だろうとは思う。だけど、私たちはそこを曖昧にしたまま、空間づくりを進めている。
ちょっと伝えるのが難しいけれど、本当は、こんなことを考えているからだ。
「ここは、あなたが興味を持って、なんだろう?と考え、一歩敷地内へと足を踏み入れ、質問をし、見知らぬ人たちと会話をはじめる、そんな場所なんです」と。
言い換えると、「カフェ」やその他わかりやすい呼び名を(あえて)つけないことで、空間がいかようにも変化できる状態を維持することの実践。……を目指している。
(ちょっと、面倒なことを言っているなぁ、という自覚はありますが続けてみます)
カフェが悪いわけではないし、カフェになる可能性がゼロになったわけでもない。
ただ、「カフェになる」と言ってしまうと、そこは簡単に「カフェ」になってしまうのだ。お茶を飲んで過ごせばそれらしくなるので、その状態から動かなってしまう。
この空間がどう使われていくか、どんな過ごし方ができるかも「カフェ」の枠からはみ出して人が想像することはなくなるだろう。
回りくどいけれど、神津島のように、様々なプロジェクトを生み出すための拠点を先行してつくるときには、そうやって空間に可能性を残すことそのものが大切なアプローチになると考えている。
編集以前の生の情報=日常をどう捉えるか
私たちは、ついつい「明確なもの」を求めがちだ。
テレビの情報番組のようにシンプルで明確に、「ここは島にできた新しいカフェです」とか「NPOが運営する託児スペースです」と説明されたほうが理解しやすい。
実際、メディアはそうやって、日常の出来事を編集し圧縮することで、膨大な情報を世の中に流通させてきた。
だけど本来、私たちの日常の体験や会話は、「編集以前」のものなのだ。
人と人は、同じ空間で会話しながら、互いに影響を与えあい、不確かな情報の交換をしている。
そんなコミュニケーションの不明瞭さに向き合い、用途や名前のない場所を空間として立ち上げること、そのことによって人々が考えはじめることを手助けすること。
それもまた、私たちのようなデザイナーの仕事なのかもしれない。そんなことを神津島の「拠点」をめぐって考えている。
(いわさわたかし/岩沢兄弟)