高齢者の漢方

これまで漢方についてとりとめも無く書いてきたが、今日は本題「高齢者医療と漢方」について書く。


ツムラの7番に八味地黄丸という薬がある。適応を見ると、「疲労、倦怠感著しく、尿利減少または頻数、口渇し、手足に交互的に冷感と熱感のあるものの次の諸症」とあり、病名として「腎炎、糖尿病、陰萎、坐骨神経痛、腰痛、脚気、膀胱カタル、前立腺肥大、高血圧」となっている。


実はこの漢方エキス製剤の適応症というのは昭和36年の法律制定以来ほとんど変わっていないので、全く当てにならない。腎炎と糖尿病と坐骨神経痛と高血圧に効く薬など、あるはずが無い。


しかし上の適応症をざっくり全体的に眺めてみると、どう見ても健常成人のそれでは無い。高齢者が年齢を重ねるに従って生じてくる種々の症状、症候と考えれば、ある程度合点がいくのでは無かろうか。つまり八味地黄丸の適応症は、「加齢によるフレイル」である。昭和36年にはそんな概念は無かったので、こういうわけの分からない記述になっているのだ。


西洋医学に老年医学が出来たのは20世紀も後半のことで、それまでは歳を取って衰えるのは仕方が無いと放置されてきた。それが今ではフレイルという概念、老年期症候群という概念が生まれ、人は加齢と共にフレイルになり、やがて老年期症候群となって亡くなっていくと考えられるようになった。


一方中国伝統医学では、紀元前に書き始められたとする「黄帝内経(こうていだいけい、フアンディネイジン)に人が歳を取るとどうなるかという議論がある。そこでは人は加齢と共に
• 顔はやつれ、歯が抜け、髪も抜ける
• 耳目が遠くなる
• 免疫低下
• 健忘、易怒、不眠多夢、昼夜逆転。甚だしければ認知症
• 味覚変化、食欲不振、少食、便秘
• 腰、膝などの痛み痺れ、四肢心熱、あるいは冷え。甚だしければ脊柱弯曲、振戦、歩行不正、姿勢保持困難
• 陰萎
などが生ずると書かれている。現代の目から見ても、非常に適切で要を得た記述である。そしてこうした状態に使う基本的な薬が、八味地黄丸であり、膝関節症があれば八味地黄丸に牛膝(ごしつ)と車前子(しゃぜんし)を足した牛車腎気丸を使う。


ところが、である。こう言う考えが生まれ、八味地黄丸が作られたときの人の平均寿命は50に達していなかった。日本で平均寿命が50を超えたのは、やっと高度経済成長が始まってからである。だから漱石の小説に「50の老人」という記述が出てくるし、サザエさんのお父さんの波平さんは54だ。波平さん54なんですよ。それで当時の定年は55で、その歳から年金が出たわけだ。57才の自分と比べると、いやはや、なんとも言う言葉が無い。


話が逸れた。でまあ、人生50年と仮定して冒頭にあげた八味地黄丸の適応症を見ると、だいたい50代から60代に始まる症候、症状であることが分かる。つまり八味地黄丸はフレイルの薬だと言っても、実は一番奏効するのは50代、60代なのだ。今の年寄りは元気だから、70代でも適応はあるが、80代になるとちょっと怪しい。


要するに八味地黄丸は、50の坂を越えて、「俺も歳を取ったなあ」という人に使うと良いのである。ツムラの手帳の効能効果に拘る必要は無い。あんなものエビデンス無いんだから。患者さんが「最近歳の衰えが」と言ったら八味地黄丸だ。


出し方だが、地黄が胃もたれを起こす人がいるので、最初は朝晩一包ずつ出してみる。それでなんでも無かったら、朝晩2包ずつにする。50〜60代だとまだ働いている人も多いので、飲み忘れを防ぐために昼は出さない。


と思っていたら先日外来で、「最近私も歳を取りまして」という女性がいた。今お幾つですか、と訊いたら「90です」。参りましたと言うほか無い。こう言う時代の高齢者の漢方には、新しくそれにふさわしい薬を作ってきちんと治験してやるべきだ。

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