漢方は不定愁訴の薬あらへんで。

これまで漢方について色々書いてきました。風邪、足がつった時、冷え性、便秘、加齢に伴うここが痛いあそこが痛い、BPSD、食欲不振など。在宅医療、高齢者医療でしばしば見られる病態、症状を中心にしてきました。実は、避けてきたものがあります。不定愁訴です。

漢方というと、不定愁訴の薬だと思い込まれているきらいがあります。それどころか漢方医の中にも「漢方は究極のQOL医療だ」とか言って、不定愁訴に対応するのを使命だと思い込んでいる人すらいます。総合病院に漢方内科があると、他科でどうにもならない不定愁訴のゴミ箱になるのが常です。しかしこの連載では、不定愁訴は一つも取り上げませんでした。これからも取り上げることは無いと思います。


その理由ですが、まず高齢者医療で不定愁訴というのは意外に少ないということ。皆さん高齢者診ていて、不定愁訴の塊という人、どれぐらいいますか?あまりいませんよね。不定愁訴が服着て歩いているような人というのは若年から中年だと思います。高齢者が何か症状を訴えた時は、適切な訴えかどうかは別にして、必ず何かあるのです。不定愁訴じゃない。腹が痛いと言えば、腹に何かは起きてます。勿論単なる便秘かもしれないのですが。


だから、これは釈迦に説法かもしれないけれど、高齢者の愁訴を「不定愁訴でしょ」などと思うと大失敗をします。具体的になにかあるなと思った方がいい。それであんまり不定愁訴は取り上げないのです。認知症で色々ストレスがあるんだけど上手く表現できないって言う時は、不定愁訴よりBPSDの方に行ってしまいます。なのでBPSDの話は取り上げました。


もう一つ、不定愁訴を取り上げない理由があります。「そもそも漢方は不定愁訴の薬あらへんで」という事です。傷寒論(しょうかんろん)という古典があります。中国でも非常に重視されますが、むしろ日本漢方でまるで聖典のように扱われる本です。聖典扱いはちょっとやり過ぎだと私は思っていますが、ともかく重要な本であることに間違いはありません。その傷寒論というのは、傷寒という疾患の病態と治療について張仲景(ちょうちゅうけい、チャンチョンジン)という人が書きました。傷寒が正確に何の病気であるかは今はもう分からないのですが、ともかく凄まじい致死性の疫病であったようです。我々の経験した中では、新型コロナのβ株、デルタ株などに似ているかもしれません。初期は軽い風邪症状で始まって、あっという間に深部臓器を次々犯し、最後はMOFで死んでいったようです。


どのくらい致死的であったかというと、張仲景自身が傷寒論の序文でこう書いています。


「私の親族はかつてたくさんいて、二百余りもいた。それがある年以来(彼は建安元年以来、と書いているのですが)、十年を待たずして、その三分の二が死に、その死因の七割が傷寒であった」というのです。そこで彼は親族がたくさんいた往時を偲び、若者も次々と死んでいったことを悔やんで発憤し医学を学び、種々の古典を読み尽くして傷寒論を書いたというわけです。


だから漢方は元々不定愁訴の薬なんかじゃないのです。人がバタバタと死んでいく感染症に立ち向かう医療であったのです。先日も補中益気湯創薬の物語を書きましたが、時代が変わってもそれはそうだったのです。勿論張仲景が傷寒論を書いた漢代より、時代が下ると次第に生活習慣病やストレス性疾患が増えてきます。これは古典を時代ごとに並べて読むと分かります。ですが中国医学や漢方が不定愁訴専門だった時代はありません。

現代医療が発達し、特に感染症学や救命救急医療がめざましく発展すると、上記のような漢方の出番は次第に少なくなっていきます。それで方向転換したのが「不定愁訴専門」です。西洋医学なら不定愁訴でも漢方の眼で見ると違うんだぜ、と言うわけです。傷寒論の処方は可能性に充ちていますので、元の薬をちょっと加減するとそう言う不定愁訴にも対応できるのは事実です。しかしそれは決して本来の漢方医学ではありません。まあちょっと漢方が非主流派になってしまった後の話です。なので、私はこれまでのお話では敢えて不定愁訴を避け、きちんと実在する症候、病態に漢方がどう効くのかをお話ししてきたわけです。


でも最後に本音を言うと、私個人が不定愁訴を診るのがどうも苦手だ、と言う理由もあるんですけどね。

いいなと思ったら応援しよう!