プロの医者とは


在宅医療のグループに、私が自分の母の例を挙げて、「在宅が常に最善ではありません」と言って母の事例を述べたら、管理者はさすがに分かっていてその投稿を採用してくれたが、「すべてにおいて不同意です」とコメントを付けた人がいた。在宅に燃える若い医者なのかと思ってとりあえず

「プロってのは、自分の仕事の限界を知る人のことです。それが分からないのは素人です。患者はあなたの可能性を試すために存在しているのではありません。」


とコメントを返してその人のプロフィールをみたら、北大医学部の学生だった。そこで改めて


「プロフィールをみたら学生さんか。学生ならなおのこと、よく言っておきます。あらゆる治療、あらゆる医療にはそれぞれの持ち場と限界があります。全ての治療は効果と有害事象を併せ持つのです。自分の持ち場とその限界を知り尽くしているのがプロなのです。くり返しますが患者はあなたの可能性を試すために存在しているのではありません。よく覚えておきなさい。」



と付け足した。


私が漢方医を名乗れるのも、自著「高齢者のための漢方診療」に「第17章 漢方の有害事象」というのをきちんと書いているからであり、高血圧や糖尿の治療の第一選択を漢方にしないからだ。第一選択にしないと言っても。色々な降圧剤を出したあげく、「どうもこの人の高血圧はストレスを納めないと治療出来ない」と見極めた時さっと大柴胡湯を上乗せする。しかし大柴胡湯の構成生薬に大黄が入っているのも知っているから下痢しやすい人は大柴胡湯去大黄にする。そこまでやれて初めて「漢方医」なのである。



在宅診療もそれと同じだ。いや、全ての医療医学も同じである。全ての医学医療には、その効能効果とともに有害事象があり、出番と出番でない時がある。それが分かっていなければプロとかエキスパートとは言わない。「自分の可能性を追求するのだ」というのは彫刻家や画家なら許される。我々医師は生身の人間を相手にしているのであって、患者は医者の可能性を追求するために受診しているのではない。



そのことと、新たな医学の地平を開くというのは、まったく矛盾しない。私は漢方の臨床研究をやって47本の英論文を書いた。漢方の可能性を広げた。しかし常に「その漢方薬にはどの様な有害事象があるか」を分かっていて、「漢方の考え方を基にするとどういう人には適していてどういう人には適さないか」が分かっていた。その上でそういう有害事象をしっかりモニタリングして臨床研究を行い、さらに英論文には必ずlimitation、すなわちその研究にはどんな限界があってどんな弱点があるかを必ず記した。だからこそそれらの論文は認められて掲載されたのであり、limitationが書かれて良いない論文などそもそも受理されない。



臨床医学の可能性を広げるにはそういう手順を踏む必要があり、臨床医や研究者の好き勝手になんでもやって善いという事はないのだ。

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