竹下夢二と当帰芍薬散

先日、健診でコレステロールが引っかかったという40代の女性が来て、お薬手帳を見たら整形外科が桂枝茯苓丸を出していました。「これは冷え症か何かですか」と訊いたらそうだというのです。私はその人の風貌を見て「あ、これは違うな」と思いました。桂枝茯苓丸じゃ無いと直感したわけです。これ飲んでどうですかと訊くと、「お腹がちょっと温まるような気がしますけど・・・」と口を濁すわけです。もうその時点で私は出すべき処方が決まってしまっていたのですが、一応お腹や背中から下半身全体が冷えるが特に足先が冷えること、月経が遅くなっていること、月経血は少量であること、のぼせはほとんど無いことなどを確認し、形式的に脈と舌を見て、「餅は餅屋だから、漢方は私が出します」と言って当帰芍薬散加附子を二週間出しました。その人のコレステロールは薬を出すまでも無い程度だったのですが、二週間経ったらまたいらっしゃいと言って帰したのです。



二週間後その方がまた見えたので、どうでしたかと訊くと「全然違います!背中から足の先までぽかぽかと暖かいです」というわけです。



こんなのは漢方を30年もやっていれば序の口で、これを自慢するような話じゃありません。問題はその人が本来適応では無い桂枝茯苓丸をずっと飲まされていたことです。桂枝茯苓丸は確かに冷え症にも使われますが、本来は腹腔内の婦人科臓器の腫瘤に用いた処方です。まあ昔は手術をほとんどしませんから子宮癌なのかただの筋腫なのかは結局最後の方になるまで分からなかったでしょうが、そんなものに使われました。だから本来の桂枝茯苓丸の適応には腹痛とか下腹部圧痛とか、腹部に腫瘤を触れるとかと言う項目が入るのです。女性ホルモンの失調をともなうのでのぼせたり冷えたりします。月経は不順で月経血は多い。これが桂枝茯苓丸を使うべき基本形です。その人は腹痛はないし月経は遅れているだけで月経血も少ないのですから問診すればするほど違うのですが、今回はそういうのは確認作業に過ぎませんでした。だって私は最初その人をパッと見てその風貌と冷え症だという事から既に当帰芍薬散を思いついていたからです。こう言う思い込みで診察すると外すこともありますが、この人はあまりにも典型的だったので外れませんでした。



その風貌というのは、痩せ型で、若い頃はすらりとした美人だったんだろうという事です。それがもう40も半ばを過ぎて血色が悪くなってしまっていました。これは日本漢方の誰だったかが言った言葉ですが、竹下夢二が描くような美人で冷え症なのは当帰芍薬散だというのです。こう言う「口訣(くけつ)」というのはエビデンスではないので、あまり信じると時々痛い目に遭いますが、こんなふうにピタッと当たる場合もあります。



まあそれはともあれ、適応でも無い薬を何年も飲まされていたその方はお気の毒でした。漢方はきちんと勉強して使いましょうね。

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