解離性障害における他者とは?——岡野憲一郎『解離性障害と他者性:別人格との出会いと対話』【はじめに・先行公開】
はじめに
私はこれまでに解離性障害について臨床的に関わり,またそれに関する著作をいくつか発表してきた。2007年には『解離性障害』,2011年には『続 解離性障害』,2015年には『解離新時代』(いずれも岩崎学術出版社より)を刊行した。それ以外にも解離に関して書いた論文は多数ある。時々人から「よく書くことがなくなりませんね」と言われるが,私にとっては書く材料は臨床に携わっている限りは決してなくなることはない。なぜなら解離の臨床は新しい発見の連続だからである。毎日の外来診療が学びの場なのだ。私は臨床医という立場であるが,いつまでもこの不思議で興味が尽きない心の現象の一学徒にすぎないと感じている。私は本来著書に関しては一度書いた内容は繰り返さないことにしている。新たに本でまとめるのは,新しく発見したり考えたりしたことである。だから私の書くものは教科書的だったり常識的だったりする内容だと思われては困る。むしろ解離理論でこれまで常識とされてきたことはことごとく疑うようにしてきたのだ。
ところがそうも言っていられない事情がある。というのも最近教科書的な位置づけを持つ精神医学の叢書の解離の項目の担当を依頼されることが多くなってきているからだ。つまりいつの間にか解離の専門家ということになってしまったようである。若いころなら好き勝手なことを書いても多少の顰蹙を買う程度で済んでいた。しかし年齢を重ね,大学の教員をしたりしているうちに,いつの間にか書いたことへの責任がかかってきているのである。それはある程度仕方がないことではあるが,そうなることを私自身が望んでいたわけでは決してない。
そもそも私には学者として業績を積むといった意識はあまりなかった。専門性というのはある特定の目標を掲げて研究や臨床にまい進することでより定かなものになっていくのであろうが,私の場合はその時々で興味を引くテーマを追い続けた結果としてここに至っているという感じだ。
1982年(今となっては大昔である!)に精神科医になった私は,日本にいても落ち着かず,「このまま狭い世界にい続けてはいけない」と思い,精神分析を学びたいということを理由に,というかそれを口実にして医学部を卒後5年半で渡仏し,渡米した。海外で行われている精神医療をもっと知りたかったのだ。その頃は自分が解離に出会うことは全く考えていなかった。私の興味の対象はむしろ対人恐怖だったのである。
ところが米国で臨床場面に接するにつれ,日本での精神科医としての5年間のトレーニングで私が学べたものはかなり不十分であったことを知り,米国で一から精神医学を学び直すことになった。そのプロセスで嫌がおうにも直面することとなったのが,トラウマ理論や解離の病理であった。それらによるインパクトは私が日本に居続けていたらおそらく受けることがなかったものである。そして解離症状を示す患者さんたちとの体験は,脳について,そして心について私たちが知っていることではとても足りないということを教えてくれたのだ。
ところで私はその体験を,精神分析家になるためのトレーニングと並行して体験していた。不思議なことに,精神分析はある意味では心についてかなり深層まで分かっていることを前提とした治療法であり,理論体系である。そこでは基本的にはS. Freudが考案した土台に乗った理論構築がなされている。しかしそこに解離性障害についての理解の仕方はほとんど書かれていなかった。つまり解離性障害について知るためには,精神分析的な理論の助けを借りることはできず,患者さんの話を私が一つ一つ聞き取って理解していく以外になかったのである。
もちろん解離性障害についての理論は精神分析とは別個に存在している。それは精神分析を始める前のFreudの共同研究者であったJoseph Breuerやその同時代人のPierre Janetといった人々により基礎が築かれたのだ。そして近年になり,1970年代以降Richard Kluft,Frank Putnam,Colin Rossといった臨床家により強力にその研究が推し進められていった。私は彼らの理論から多くを学び,大枠に関して納得していたはずである。しかしこの数年間の間に,私は再び解離性障害について改めて考え直す機会を多く持つようになっている。そして上に挙げたエキスパートたちにより書かれた解離に関する理論に多少なりとも違和感をもち,それとは別の理論を模索し始めていることに気が付くのだ。
その違和感とは突き詰めて言えば,従来の解離性同一性障害に関する理論には交代人格に対して,一つの人格としての尊重が十分なされてはいないのではないかという疑問である。それは交代人格と日常的に出会って一つの別個の人格としての存在を感じているという私の臨床体験とは大きく異なる。そこでその点を改めて問いただそうというのが本書の主たる目的ということになる。
ただし私にはそうすることに伴うある種の後ろめたさがぬぐえない。従来の精神分析理論や解離研究のエキスパートたちが論じてきたことに異議を唱えるような資格は自分にあるのだろうか。
しかしここで思い直す。私はもう還暦をとうに過ぎ,65歳を過ぎて8年間勤めた京都大学を退職する年齢を迎えた。一昔前なら,もうそろそろ寿命が尽きてもいいくらいの年齢なのに,幸い生きながらえている。私が自分の考えを世に問う機会もそれほど残されていないとしたら,これもいいタイミングではないかと思う。
もちろん私の解離の理解は私の個人のものであり,それが正しい保証はない。私がその信憑性を実感しているという,ただそれだけである。しかし自らが解離体験を持ち,あるいは解離の臨床に携わる方々の考えに一脈通じる内容を本書でお伝えできればと願っている。
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