【火の国・熊本。中3の時に別れたタカハラ君との再会】


1997年4月の掲載号の写真だが、見えているのはおそらく最上川なので、山形県内で撮影されたもの。

ある日、熊本から電話がかかってきた。今度ライブをやることになっている『ジャンゴ』の林田さんからだ。

「岩男さん、中学のとき同級生だった、タカハラって覚えています?」

タカハラ、タカハラ‥‥、あっ思い出した、中2の時に転校して来て、半年ぐらいでアッという間に転校していった奴。そう言えば、熊本に行くとか言っていたな。

「いたいた、えっ、タカハラ君、熊本にいるんだ!」

「そうなんですよ。バンドやってたみたいで、時々うちの店に来て岩男さんのポスターを見て、”岩男って山形の中学で少しの間一緒だったんだ”って…」

「驚いたな、17年ぶりだぜ!そうか、あいつ熊本にいたんだ」

「今度のライブに来るって言ってましたよ。楽しみにしてました」

 俺は電話を切ると深い溜息をついた。本当にあるんだな、こんなことって…。

 俺が生まれた天童というところは、言わずと知れた温泉&将棋の町で、流れ者も多かった。俺の通っていた小学校、中学校はその温泉街が学区に入っていたので、とにかく『訳アリ』と言った感じの転校生が多かった。しかもそのほとんどは一年もせずにまたどこかの町へ旅立って言ってしまうのだ。

 ある日、俺の通っていた中学校の隣のクラスに転校生がやって来て、そいつは自己紹介で、

「俺はエレキギターを弾く」と言ったという。

 …その彼こそが、タカハラ少年であった。

 当時学校ではギターを弾く奴が何人かいて結構盛り上がっていたのだが、みんなフォークギターで、エレキを持っている奴はいなかった。当時の山形の中学生なんてそんなもんだったのである。どこから来たのか知らないが、少なくとも山形よりは都会の街から来た標準語を話す少年は、エレキギターを持っているというのだ。

 「大変なことになったぜ…」

 対策を立てるため、昼休みにフォークギター仲間が集まることになった。俺たち数人は校内で、”この辺じゃ珍しい、進歩的なギター小僧達”ということである程度認知されており、注目を集めていた…と少なくとも自分たちは勝手に思っていたために、その地位を脅かされるのを恐れたのだ。

 「悶々としていても仕方がない。とにかく一度話をしよう」ということになり、僕らはタカハラ君を呼び出すことにした。

 翌日、約束の時間きっかりに、坊主頭で山形弁を話す(彼から見れば)異星人のような僕らの前に、ちょっと困ったような顔をしてタカハラ君は現れた。

 「…我々は、君に敵意を抱くものではない。我々もギターを弾くのだが、エレキギターはまだ触ったことが無い。なんでも君はエレキギターを持っているそうじゃないか?今度見せてくれないか?」というようなことを言うと、

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