僕のウクレレデイズ・第5話 【宮川泰先生に楽屋で謝った話】

 僕は、ハーブ・オータさんの教則ビデオの司会を務めたり、ウクレレ関連の仕事が急速に増え、忙しくなってきた。この頃、僕の人生を大きく左右するような出来事が続いたが、そのひとつが、この大阪・読売テレビでのエピソードである。

 1992年のある日、僕は大阪・読売テレビの音楽番組「西村由紀江の日曜はピアノ気分」に呼ばれた。当時すでに人気ピアニストだった西村由紀江さんがメインで、相手役に円広志さん、音楽監督に「宇宙戦艦ヤマト」の宮川泰さんという、そうそうたるメンバーの番組だった。その日のゲストは、なんと、ハーブ・オータさんと僕で、宮川さんが指揮する生のオーケストラをバックにウクレレを弾く、というものだった。ウクレレを始めてから、関口さんをはじめ、メジャーな人たちと会うことができ、このような本格的な番組にも呼ばれるようになっていたのだ。

 この日は、ハワイアンの超定番曲「小さな竹の橋」を、全員で演奏する事になっていた。

 「まぁ、知ってる曲だし、なんとかなるだろう」

と、なんの準備もせずにスタジオ入りした僕を待っていたのは、予想外の光景だった。ストリングスやホーンまで入った大所帯のバンドに、宮川先生が細かく指示している。シンガー・ソングライターの世界とは全く違う、「音楽家」の世界がそこにあった。ハーブ・オータさんもスタジオ入りし、宮川先生を囲んでの打ち合わせとなり、スタジオのテーブルの上に、「小さな竹の橋」の譜面が広げられた。それは、吹奏楽部で使うような5段譜で、6ページくらいあった。僕らが普段使う譜面は簡単ないわゆる「コード譜」がほとんどで、3枚を超えることは滅多にない。僕は見たこともないような譜面にめまいがした。ここで、僕は危機的状況に追い込まれる事になる。

「じゃ、由紀江ちゃんは、ここ弾いてね」

宮川先生が説明をはじめた。

 譜面には、各ゲストのソロ部分が一人につき16小節、弾くべきフレーズが宮川先生によってキッチリ書き込まれていた。

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