ペロリスト問題について思うこと
1.初めに
こんにちは。こんばんは。IWAOです。
今日は、いつもと違う内容になります。現在、日本国内だけでなく、世界中話題になっているスシローの問題について私が思っていることを書きたいと思います。
また、いつもよりは雑な内容になっています。ご了承ください。
2.何が起こったのか
わざわざ説明することでもありませんが、湯飲み、しょうゆビン、回っている寿司を嘗め回したり、唾をつけるなどいう非常に迷惑な行為を行ったというものになります。
この事件をきっかけに、回転寿司の利用が激減した、スシローの株価が168億円下がるなどとの悪影響が出ました。この事件に対して、スシローは、刑事・民事の両面で厳しい対応をすることとなりました。
また、「#スシローを救いたい」がトレンド入りし、それに合わせて多くのインフルエンサーが、スシローのために行動を起こしました。
3.私の思ったこと
私が、この事件について思ったことを書きます。また、大きな誤解を招いてはいけないため、以下を大前提にして記述します。
この高校生が行ったことは、「完全に悪いこと」であるのは、言うまでもなく、何故、悪いのかは全て言い尽くされているので、何がダメなのかについてはもう書きません。しかし、私が、一番思ったのは、以下のことです。
そもそもスシローに限らず、このような不適切な行為は、今回で初めてのことだったのでしょうか?つまり、以前から繰り返し起こっており、今回も、話題になったということです。以下、今回のペロリスト以前の内容になります。(*非常に不快な内容で申し訳ありません。)
これらの事例では分かりませんが、悪ふざけ行為を行い、それをSNSに載せたせいで、人生がつぶれてしまったというバカッタ―騒ぎは、10年前からありました。この時から、「そもそも悪ふざけは絶対にダメ、ましてやそのような行為をネット上に載せてはいけないこと」は、以前から言われていました。これくらいのことは、バカッター騒ぎで考えることができると思います。しかし、今回の件で、上記のような教訓が、世間に浸透していたのかというと決してそうではなかったと思います。つまり、ダメだということが、認識されていなかったからこそ起こったと感じます。
また、今回の事件を通して、過去に起こったことを繰り返してしまったため、「SNSなどのネットをどう使うのかを考え直す」ということを世間が考えなければならないと感じます。
別の事件になりますが、大物YouTuberであるW氏が、未成年の少女に対してわいせつな画像の提供を求めたことが、大物YouTuberであるK氏の暴露によって明らかになったという事件もありました。この事件は、「ネット上で自身の身分を明かすことがいかに怖いことであるのか」を物語る事件でもありました。つまり、ネット上で知り合った人物に対し、自分がどのような存在であるのかを明かすようなことをしていけないということです。大物YouTuberが起こした事件ということもあり、マスコミにも大々的に取り上げられ、学校でも自分の顔写真等を相手に教えないようにということを学級通信などで配るなどの措置がされました。また、この大物YouTuberの事件も、これが初めての事例だったのかというとそうではありません。そして、この事件も「あぁ、何かあったなぁ」程度のものになってしまったのではないかと感じます。つまり、私は、類似した事件が繰り返される可能性は、高いと感じています。
以上、今回のペロリストと大物YouTuberW氏の暴露については、かなり共通点があると思います。それは、以下のようになると考えます。
4.まとめ
ここで、今回のペロリストについてのまとめになります。
「こんなことをして許せない」と思うのは、当然で、何も批判されることではないと思います。しかし、これで終わってしまっているのが現状だと思いますし、同じ事件を繰り返しているというのが今の結果でもあると思います。つまり、私が、このペロリストで感じたことは、「どうしたら、同じ事件を繰り返さないのかを考えなければならない」ということです。
「許せない」と批判するだけでなく、どのように「させない」や「何故ダメで、それをしたら、どんな怖いことになるのか」を伝えなければいけないと思います。よって、私たちが、この事件を忘れないでいることももちろんですが、メディア、インフルエンサーなどの発信力のある人たちが、「どのようにして防止していくのか」と「自分の人生をぶち壊す行為であるのか」も発信していくことが求められるような気がします。そして、学校でも、ただただ教室で「こんなことがあった」というのを1回話して終わりにするのではなく、伝え続けることが大切だと感じます。
要するに、「ダメであるということを伝え続ける」ということが大切であるということになります。当然、インフルエンサー、メディア・学校関係者が仕事していないという批判ではありません。その時だけ、行動すればいいのではなく、「ダメだ」という活動を継続し続け、事件を繰り返させないことが、求められると感じます。
以上になります。ここまで読んでくださり、ありがとうございます。